メニエール病ーストレス病を解き明かす

  • ページ数 : 332頁
  • 書籍発行日 : 2024年3月
  • 電子版発売日 : 2024年4月26日
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商品情報

内容

メニエール病はストレスが原因だった!
メニエール病専門医院を開業する著者が長年の治療データをもとに、メニエール病はストレスが原因であることを解明するまでの研究の道のりを、生物学・シェークスピアの比喩も交えながら語る。誤った治療が長く続いてきた耳鼻科治療の弊害も訴える。

序文

はじめに


メニエール病は広く知られており、名前を知らない人は稀であろう。めまいや難聴で耳鼻科を受診し、しばしばこの病名を告げられるが、実際には少ない病気で、大多数は誤診である。名称の由来は19世紀、パリの医師Prosper Ménière(1799-1862)に由来する。彼はパリ聾唖研究所の医長を長く勤め、最晩年に内耳由来のめまい・難聴症例を精力的に診療し、複数例を報告した。後年、内耳に原因するめまい・難聴の病名として、高名な医師が彼の名前を被せ、病気の曖昧さが現在まで継承されてきた。

長らく病態、病因、治療が精力的に研究されてきたが、いまだに核心は解明されておらず、根本的な治療もない難病である。

筆者は過去に動揺病(乗り物酔い)を研究し、現象の奥深さに惹かれ五百頁の著書『動揺病―ヒトはなぜ空間の奴隷になるのか―』(1997)を執筆した。研究が一区切りし、新しい研究課題を探す過程で、1997年厚生省研究班(後、厚労省)に加わり、メニエール病を研究することになった。長らく原因不明であったスモンが、研究班を設置して1年で解決したため、厚生省が各科で難病を特定疾患に指定した。1974年「メニエール病調査研究班」が発足し、名称は変わったが長く継続された。本書を執筆したのは、四半世紀余の臨床研究から、研究者を翻弄した理由が判明し、病気の核心に迫り、全体像を理解できたからである。

東京医科歯科大学の故渡辺 勈教授が初代班長となり、診断基準の作成、アンケート用紙による全国規模の疫学調査(患者の調査と登録)が実施された。1976年、調査票580名の集計結果が公表され、おおよその患者像が判明する。当初は、メニエール病の病因を解明し、治療を確立することを目指したが、一向に達成されないため、その後「前庭機能異常」と守備範囲を広げ、40年近くも継続されてきた。筆者も2002年から3年間、班の研究主任を勤めたが、スモン研究班と対照的に、これ程期待を裏切った研究班も少ないであろう。スモンが1年で解決したのは研究班の組織でなく、一人の研究者のヒラメキの賜物であった。

しかし、厚生省は研究班を組織すれば、早期に解決すると誤解した。40年間の班活動にも拘わらず、病因が解決しないからには、発想や方法論に誤りがあるに違いない。

可能性として、①先入観による思考の呪縛、②作業仮説の誤り、③テクノロジーや方法論の未熟、④発症に複合要因の関与、などが考えられる。さらに、研究班は合議制で進むので、⑤個人の斬新な発想が抑えられた可能性もある。スモンでは、消毒薬キノホルムの本来の薬理作用が忘れ去られ、整腸薬の感覚で大量に投薬された。結果的に上の①②が該当し、余りに身近な薬のため原因から除外されてしまった。メニエール病の未解決は何が該当するのだろうか?筆者の見解では、この病気も①②がエラーを招いたと考える。研究の流れを決めた当初の調査内容は、症状や検査所見に重点が置かれ、ストレスが関与しても主因となり得ないという風潮があり、患者の生活環境を評価するのに不十分であった。この結果、集計結果は「身体的、肉体的過労、睡眠不足の多い傾向」と出たが、ストレス病として掘り下げることはなかった。当時、研究班は病因、疫学、基礎の分科会に分かれ、疫学分科会長が集計結果を「メニエール病の病因は環境要因になく、個人的要因にある」と総括した。一方、病因分科会長の総括は環境要因を重視したので、研究班内に意見の対立や異論があったはずである。

その後も総花的な研究に終始し、研究者を惹きつけたのは、時流に乗ったテーマや手法で、現在まで継続されたものはない。

正に「『時』こそ人間の支配者だ、人間を生かしもすれば殺しもする。なにごとも時の気分次第、気がむくものをくれ、こちらのほしいものをくれはしない」(シェークスピア『ペリクリーズ』)。研究は直観を元にした仮説と個人の情熱が必要である。課題は、①漠然としたストレスの実体を突き止め、②患者集団と一般集団の違いを立証し、③多数患者でストレスの実態を調査し、④難治な理由を明らかにし、⑤有効治療を提示することであった。幸い、計画が具体化し、目的を達成し今回の成果になった。

研究者も得意や癖があり、筆者の手法はいつも同じで、現象を繰り返し観察し、多様な要素を矛盾なく説明する理論を模索する。動揺病では冷汗、吐き気、嘔吐など不快症状が主役を演じるが、本質は平衡破綻であった。受動的な動きに曝されると、慣性入力を利用する脊椎動物の平衡センサは機能破綻し、不快症状が類似環境を忌避するよう条件付けている。50歳代初めからの趣味、シェークスピア劇でも同じ手法―全作品の反復精読―を用い、劇の構成の特徴、表現の癖、独特な作劇手法、作者の価値観や人物像が判明した。本手法はもともと生物学の生態学(Ecology)に発し、実験室の分析的な手法とは大きく異なる。

メニエール病にも本法を適用した。大学勤務時代は多数医師が診療し、レセプト用電子カルテのため、データベースの作成や長期観察が困難であった。2006年めまい専門クリニックを開設し、受診者が飛躍的に増加し、2020年からのコロナ騒動で受診者が激減したが、2023年4月現在、メニエール病患者は1,563名(初診患者の約12%)に達した。シェークスピアの作者像が、史劇、悲劇、喜劇の別なく、劇に反映されるのと同様に、病気の共通の性質が、環境、経過の異なる個々の患者を超えて、データベースに反映されるはずである。多数の患者を長期に観察すれば、短期の観察で不明であった病気の特徴が露わになる。

病気の研究史を振り返ると、研究者を呪縛した研究が二つある。一つは、1938年にCS Hallpike氏と山川強四郎氏が別々に報告した、側頭骨病理の内リンパ水腫の発見、他の一つはR Kimura氏によるモルモットの実験的内リンパ水腫である。前者は画期的な発見であったが、以降、内リンパ水腫をきたす内耳固有の疾患、の概念を定着させた。後者は、病気と無縁の実験的内リンパ水腫で研究する風潮を作った。多数の研究論文が生まれたが、病気の解決に妨げとなった。筆者は1997年以来、一貫してストレス病という作業仮説を立て、本視点から、患者の行動特性、生活環境、病因、難聴の進行様式を詳しく調査してきた。

病因の研究史を辿ると、心身医学やストレス研究は1970年代に増えたが、耳科学研究者の興味の対象外であった。筆者は以前から進化生物学に興味があり、シェークスピアやメニエール病の研究に有用であった。シェークスピアの史劇や悲劇の主人公は、欲や感情で行動を駆り立てられ、悲惨な顛末を辿る。劇が四百年間愛されたのは、登場人物の行動に共感できるためである。

劇は、1970年代Paul MacLeanが提唱したThe Triune Brain Theory―ヒトの脳は爬虫類レベルの反射脳(脳幹)、初期哺乳類で生まれた情動脳(大脳辺縁系)、人類で高度に発達した理性脳(大脳新皮質)が三位一体で機能する―を忠実に再現する。

人類は大脳新皮質、とりわけ前頭葉を発達させ、生殖や衣食住を自然の頸木から解放したが、本能に加え欲や感情の支配を免れない。利己的、反社会的な行動は周囲の監視で抑えられるが、監視が弱まると欲や感情が主となり、理性を僕として暴走する。

しばしば前者を優先するか後者を優先するか、葛藤が生まれる。The Triune BrainTheoryの記述で興味深いのは、爬虫類レベルで存在誇示、挑戦、へつらい、服従の四つを区別できる事実だ。ヒトの行動では、存在誇示は権力や富の誇示や自慢、挑戦はライバルの追い落とし、嫉妬、反感、復讐、へつらいは奉仕、ボランティア、盆暮れの贈り物に、服従は従順や我慢に相当する。

自然界では一見利他的に見える行為―アリやハチの女王への奉仕―も、最終的に自身を利する行為が多く、自然界では投資に見合わない行為は、生物学的に淘汰される。

傷ついた血縁をケアすると、群れの行動が制限され、肉食獣の餌食になるリスクが高まるため、この種の行動は排除される。人類は多様な組織の各々の階層に属し、下位は上位に従う規則で、群れの秩序が保たれる。一方、兄弟でも強い自己主張から、従順で我慢強い個体まで、生まれつき性格の違いは大きい。主張する個体は日々発散できるが、従順で我慢強い個体は何を満足とするのだろうか?研究当初に判明した患者群の特徴が、研究継続の推進力となった。

多くのメニエール病患者さんの診療から、我慢して熱心に励んでも報われない状況―報酬不足―が、ストレスの実体として浮かび上がった。生物学的に見合わないヒト特有の現象である。イヌやネコでも飼い主が邪険に扱うと、外に向かえば凶暴となり、自身に向かうと脱毛や食欲不振に陥る。脳に快・不快を感じる中枢があり、不快な状況が続くと、矛先が周囲(切れる)か自身に向かう。ストレス病は報酬不足を発散、解消できず、身体が標的となり損なわれる現象と言える。多様な器官が標的となり、消化器(過敏性腸症候群)、循環器(不整脈、狭心症)、脳(うつ、適応障害)、皮膚(脱毛)、内耳(メニエール病)など。

ストレス病をこのように理解すると、この病気の内リンパ水腫が従来とはまったく異なった現象に見えてくる。おそらく、情動中枢が自律神経を介し、内耳機能の恒常性を低下させ、内リンパ水腫を発現させる。

めまいや乗り物酔いで、反射的に吐き気や嘔吐が誘発されるのに似て、警報的な効果もある。メニエール病は一時的に軽快しても、経時的に進行してしまうのはなぜか?仮説を裏付け、難聴進行の数々の疑問を解く患者さんが、クリニックの開設の初年2006年に受診した。退職後に暇を持て余していたので、運動を勧めたところ、連日長時間、有酸素運動を実践し、発症24年の進行固定した難聴が1年後に完治した!患者数が増加してデータベースが蓄積し、病気の性質が判明した―①発症誘因、②難聴進行の規則性、③両側移行例の特徴、④有酸素運動が奏功する理由、⑤めまいは治りやすく耳症状の治りにくい病態、⑥投薬や手術の無効、⑦体調不良や低気圧が症状悪化を招く背景、⑧発症機序の仮説的な理論。53歳から四半世紀を要した臨床研究は、43歳から10年間の動揺病の研究に劣らず、興味深い体験となった。ストレス病は単に破綻でなく、生物学的に意義のある現象であることが判明した。「メニエール病はストレス病」の立証に近づけたのは、学生以来の趣味の生物学、進化生物学、20年来のシェークスピアによるところが大きい。

著書『動揺病―ヒトはなぜ空間の奴隷になるのか―』では、酔いが生物学的に奥の深い現象で、知的好奇心を刺激され執筆した。メニエール病は、長年の膨大な研究にも拘わらず解明されてこなかった。Schuknecht“Pathology of the Ear”の序の、「知識の源は、科学的な方法論に熟達した個人の実験室の研究から生まれる」を多くの研究者が信じ、患者の人間的側面に無関心であった。チンパンジーの研究で有名な、京大霊長類研究所の松沢哲郎氏は、「チンパンジーを理解することは、人間を理解すること」と述べた。前者に後者を探すのではなく、両者の違いを理解し、ヒト特有の特徴を知ることで理解が一層深まる。

筆者の印象では、「メニエール病を理解することは、ヒトを理解すること」に繋がる。生態学的に患者集団を観察すると、彼らに特有な性格や生活環境が見えてくる。

これらの背景を探ると、生来の特異な行動特性があり、そのように振る舞う必然性のあることも理解できる。ある状況下で、彼らの行動が情動に負担を強いるため、メニエール病を発症する。これらマクロな臨床研究と対照的なミクロの研究で、ヒトとチンパンジーの脳遺伝子の発現の違いが、近年報告された。脳の遺伝子発現の違いは生態とどう関わり、ヒトの特異性の何を照らし出し、メニエール病とどう関わるか?四半世紀に及ぶ臨床研究を振り返ると、William Osler氏の「患者がどんな病気に罹っているかよりも、患者がどんな人間かを観察することが重要」と諭した遺訓が、いかに重要かを痛感する。人間の理解には多面的な視点が必要であり、本当の理解は、Jane Goodall氏がチンパンジーで行ったように、飽きるほど長く観察を繰り返し、さまざまな視点の知見を相互に関連付け、新たな発想や仮説を重ね、これらを循環させることで得られる。趣味の生物学とシェークスピアが、メニエール病研究に奏功したが、要点は人間がどういう動物かに尽き、実験室で解決できる課題ではなかった。

海外の一般向け科学書は、通常、末尾に詳細な引用・参考文献を掲載する。科学論文と同様、西洋流美学の形式であり、前著『動揺病』はこれに従った。しかし、現在は、インターネットで検索が容易なので割愛した。代わりに多くの脚注を設けて本文を補足し、併せて、詳細な索引を付記した。

執筆で多くの文献を参照し、好奇心の赴くままに記し、重複もあり、煩わしい方は飛ばして読んでいただきたい。本書は医学書よりも一般向け科学書の体裁―研究者の疑問、発想、作業仮説、調査、新知見、理論―で執筆した。なぜ長らく未解決であったか、どのような手法が成功したか、病気の実体は何か、を心がけたつもりである。

前著『動揺病』では各章の扉に、内容に相応しい聖書の言葉を散りばめた。今回も遊び心から、親しんできたシェークスピア劇の台詞を挿入した。作者は台詞の達人で、簡潔で韻を踏む詩的なものが多く、文学に無縁の筆者も、人間の深い理解と共に大きく影響された。以前『日本耳鼻咽喉科学会、神奈川地方部会誌』に「シェークスピア随想」、大学の同門会誌に随筆「シェークスピアを探る」、現在も、『神奈川区医師会報』に「シェークスピアを語る」を連載している。作者は隣人同様で、同世代の英文サークルの女性の会で、「シェークスピア研究会」を隔月に講義し、理解を深めている。

本文を書き終え、索引781語を編集し改めて気付いたことは、通常の医学書と異なり、人間臭い事象、心の世界である情動、自然界の動物とヒトの共通点と違い、発想や研究手法の語句が、夥しく多いことである。しかし、複雑に見える人間の営みや心の世界も、進化生物学やシェークスピアの視点に立ち、虚飾を剥ぎ取ると単純なことに驚かされる。メニエール病も同様で、半世紀以上解明されなかったのは、研究者が専門知識に頼り、心身二元論から抜け出せなかったためである。William Osler氏の遺訓に立ち返り、心身相関の視点から見れば当然の帰結、と現在は納得している。

大学を離れてから17年間、臨床研究は一人の営みであった。患者体験の重要性を実感し、患者に学んできたので、貴重な情報を提供して下さった患者の皆様にまず感謝したい。研究は1997年山口大学時代、厚労省研究班への参加で始まり、研究主任の八木聰明氏(当時、日本医科大学教授)に謝意を表したい。成果を生んだのは、筑波大学教授、宗像恒次氏の行動特性の分類に出会い、山下裕司氏(現山口大学耳鼻咽喉科教授)と作成したストレス・アンケート調査票のお陰であり、両氏に謝意を表したい。東海大学で本格的な調査、研究が始まり、当時の教室員のご協力に感謝したい。

クリニック開設以降も、研究協力者として班に参加し、研究主任の竹田泰三氏(当時、高知医科大学教授)、渡辺行雄氏(同、富山医科薬科大学教授)、鈴木 衞氏(同、東京医科大学教授)に感謝したい。学会や研究班では、意見の対立や激しい論争もあったが、成果はこれら試練に耐えたからこそである。これらの演題発表に際し、自由に休診することができ、石川記念会理事長、石川悦久氏に感謝したい。高齢まで研究を続け、成果を出版できたのは、恩師、ベイラー医科大学教授の故五十嵐 眞氏の学燈の精神、父高橋 良から受け継いだ研究好きな資質、妻、正子の励ましのお蔭と感謝している。最後に、中山書店の平田 直社長のご厚意と、懇切丁寧に校正して頂いた梅原真紀子氏に、心から感謝したい。


2024年2月1日

横浜中央クリニック
めまいメニエール病センター
高橋 正紘

目次

1 有名になり過ぎた病気

2 病因研究の不幸な歴史

3 メニエール病をモルモットで再現できる?

4 アンケート調査から浮かぶ患者プロフィール

5 混沌とした現象を解きほぐす定番手段

6 ストレスはいかに生まれるか?

7 データベースが示す規則性

8 一側の進行で、なぜ他側が発症するのか?

9 惨憺たる治療の歴史

10 スモンの教訓からメニエール病研究を検証する

11 一患者が覆したこれまでの常識

12 有酸素運動でなぜめまいと難聴が治る?

13 自傷反応は切れる一歩手前

14 長期罹病例が明かす病気の舞台裏

15 きわめて人間的な病気

16 ミクロかマクロか、知識か直観か?

17 長らく解決しなかった理由

18 研究に必要なのは直観と愚直の一念

19 メニエール病に紛らわしい浮遊耳石症

20 研究結果が示唆するヒトの特異性

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書籍情報

  • ISBN:9784521750774
  • ページ数:332頁
  • 書籍発行日:2024年3月
  • 電子版発売日:2024年4月26日
  • 判:B5判
  • 種別:eBook版 → 詳細はこちら
  • 同時利用可能端末数:3

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