序説
パンデミック時代&人工知能時代にあるべき最新テクノロジーを
活用した患者中心の次世代医療を実現するために
Jeffrey K. Taubenberger教授は,2020年2月26日のThe New England Journal of MedicineのEditorʼs Noteの中で,「人類はパンドラの箱を開けてしまったのかもしれない」と述べた.「我々人類は生態系を支配することで,行動様式を変え,森林を伐採したり環境を破壊し,地球規模の保健対策が不十分な世界に76億人もの人間が住むようになったことで,動物から人間に宿主を切り替えるウイルスにとって絶好の土俵を創り上げてしまった」と述べた.『スピルオーバー―ウイルスはなぜ動物からヒトへ飛び移るのか』の著者David Quammenは,「人間はこれまで熱帯雨林などの大自然を破壊してきたが,そうした地域に棲息する動植物の体内には未知のウイルスが多数潜んでいる.自然宿主とウイルスは長い年月をかけて互いに適応しており,自然宿主といわれる動物種の体内で何事もなく存在している.私たちはそれらの動物を殺すか檻に入れて市場に送ることによりウイルスを自然宿主から解放してしまった.解き放たれたウイルスは,新たな宿主を探さなくてはならない.その時に選ばれるのが私たち人間なのだ」と述べている.人間に飛び移り,複製し増殖できれば,ウイルスは世界で最も繁栄する動物の内部に居場所を見つけることになる.さて,順調にワクチン接種が進めば集団免疫を獲得できて日常が戻るのだろうか.Nature誌は3月18日に「なぜ,COVID-19の集団免疫が不可能なのか」と題した記事を掲載したが,現状の各国のワクチン接種のペースではコロナの遺伝子変異のスピードに追いつかないこと,免疫力の持続時間が不明であること,ワクチン接種により人間の行動がコロナ前に戻ってしまうことなどから,「COVID-19を打ち負かすまでの理論的閾値まで到達するのは難しい」との見解を示した.現在世界を揺るがしているCOVID-19が終息したとしても,環境破壊が続く限り次の新たな感染症が登場するようなパンデミック時代に突入する可能性が指摘されている.COVID-19の終息後があるとしても元の生活に戻ることはできず,我々はNew Normalの世界を生きることになる.
AI(Artificial Intelligence)やIoT(Internet of Things)は第4次産業革命,極端な自動化・コネクティビティによる産業革新を起こすといわれる.第2次産業革命で馬車による世界が10年で車社会に変わったように,iPhoneの登場によって我々の生活が数年で大きく変わったように,これからは過去の事例をはるかに凌ぐスピードで社会が変わっていく.第4次産業革命では,「デジタル技術の進展とあらゆるものがインターネットにつながるIoTの発展により限界費用や取引使用の提言が進み,新たな経済発展や社会構造の変革を誘発する」とされる.また,日本政府はサイバー(仮想)空間とフィジカル(現実)空間を高度に融合させて経済発展と社会課題の解決を両立する人間中心の社会(Society5.0)を進めている.医療・ヘルスケア領域においては医療現場や日常生活における様々なリアルタイムの情報を人工知能で解析することにより,ロボットによる生活支援等による快適な生活,リアルタイムの自動健康診断や病気の早期発見による健康促進,生活・医療データの共有による最適な治療の選択,医療現場におけるロボット介護支援等による負担軽減を実現するような社会が実現される.さて,医療・ヘルスケア領域ではどのような技術が可能となっているのであろうか.「未来イノベーションワーキング・グループ」(経済産業省,厚生労働省)の中間報告(2019/03)では,2040年ごろの見通し例が述べられている.現在でもかなり進みつつあるものとしては,① 生体情報に加えてリキッドバイオプシーや生活情報なども含めた健康状態管理,② 複合的な診断情報に基づく総合診断支援,健康管理や食事運動の提案や発病予測,③ VR/AR/MR技術による入院中のQOL向上,認知機能の補助および回復の支援,これらは20年待たずして実現されるように思われる.さらに,④ エピゲノムオミクス解析や病変部の遺伝子を直接編集する治療,⑤ アバターロボットのさらなる広範な活用,⑥ 設計データ転送による自宅での薬剤生成,⑦ 体内治療を可能にするマイクロマシン,⑧ 患者や医師が搭乗可能な空飛ぶ車,⑨ 体内埋め込み機器による身体機能の強化,などを実現するためバックキャスティングに今何をすべきかが真剣に議論されている.今後20年間で医療・ヘルスケア領域においてもきわめて大きな変革が起きるのは間違いない.
さて,GAFAM(Google/Amazon/Facebook/Apple/Microsoft)+BATH(百度(バイドゥ)/阿里巴集団(アリババ)/騰訊控股(テンセント)/華為(ファーウェイ)は,ITを軸にしたプラットフォームビジネスを展開しているが,ユーザーから得たビッグデータを利用してあらゆる領域で新たなインフラとしての役割を果たしている.指数関数的に進化するテクノロジーの活用に成功すれば莫大な収益を得ることが約束されており,これらの企業は医療・ヘルスケアを含むあらゆる領域に参入して社会構造を大きく変化させている.破壊的イノベーションとは市場における既存のルールを根本的に覆し,そこにまったく新しい価値を創出するイノベーションのことであり,我々の世界を大きく変える.例えば,Uber,Uber Eats,Airbnb,NetFlixなど既存の構造を大きく破壊して社会が変化している.共通するのは,これらの企業が設備をほとんど持たないことで,これまでとはまったく異なるビジネス戦略が過去のビジネスを駆逐しつつある.医療・ヘルスケア領域ではどうだろうか.世界は我々の想像をはるかに超えたスピードで進化している.Uber Doctors,患者さんがいつでも必要な時に医師に直接依頼できるサービスの可能性はどうであろうか.ベッドを持たない病院,Virtual Hospitalはどうだろうか.病院のベッドに積極的に入院したい患者さんはいない.もし,自宅のベッドにいながら診断・治療ができれば,そして,家のベッドで最期を迎えたい患者さんも少なくないのではないか.tele-ICUが海外で積極的に活用されつつあるが,最新のICT(Information and Communication Technology)を活用すれば決して実現できない構想ではない.Stanford大学の池野文昭先生によると,米国では,Medically HomeやMercy Virtualなど実際にベッドを持たないVirtual Hospitalがすでに始まっているそうである.
AIをはじめとした様々な最新のICTが医療の世界にも急速に導入されていく.人間がAIに絶対にかなわない能力として,① 無制限の集中力と持続力,② 超高速の論理的思考力,③ 膨大な記憶力と検索力,さらに将来的には人間でしか持てないとされている④ 直感的判断力を担うという研究者もいる,そしてAIは大量生産可能なため⑤ 人間よりもはるかに低いコストで運用することができると予測される(田坂広志:能力を磨くAI時代に活躍する人材「3つの能力」,2019,日本実業出版社).このような状況からMichael A. Osborne教授は2015年に日本の49%の仕事が人工知能やロボットによって置換されると予想したが,幸いなことにまだそこに到達する見込みはついていない.人間とAIによる未来として,人間が行う仕事をAIが単純に代替することで人間が行う仕事がなくなるのではなく,AIとの共存が重要である.AIができることはAIに任せることで,人間がこれまで時間的余裕がなくてできなかった領域「人間が人間でしかできない仕事」に集中することができるようになる.AIと共存することで人間がスーパーパワーを手にすることができる.これがAIの本質である.これから考えるべきは,「人間vs. AI」ではなく,「AIに積極的に取り組む人間/企業/国家vs. そうではない人間/企業/国家」が大きな課題になる時代なのだ.
さて,AIによりどのような医療が実現されるのだろうか.田坂広志氏は著書の中で,ヘーゲルの弁証法「事物の螺旋的発展の法則」によると「あらゆる物事の発展は螺旋階段を登るようにして起きる.そして一段上がっている」と述べている.医療の世界でも原点回帰することが期待され,「AIが診断・治療方針決定の補助を行う時代になり,医師・医療従事者が時間的・精神的余裕を獲得することにより医療の原点“人を癒す”に立ち返ることができる.そして,AIを活用して医学・医療は飛躍的に進歩している」ような世界が来ると予測できる.また,これまでの医療は病気(illness)の治癒を目的としてきたが,これからの医療はウェルネス(wellness),すなわち「身体の健康,精神の健康,環境の健康,社会的健康を基盤にして,豊かな人生をデザインしていく,自己実現(荒川雅志,2017)」を目的としつつある.最終的には,幸福(happiness)を目指す医療になることが期待される.Ziad Obermeyer氏は,The New England Journal of Medicine “Predicting the Future―Big Data, MachineLearning, and Clinical Medicine” の結論で,「医療の世界でも他の領域と同様に,AIの取り組みにより勝者と敗者が出現する.しかし,AI導入による最大の勝者が患者さんであることは間違いない」と述べている.非常に重要な指摘であり,医療現場にいる我々がこのような世界を実現していかなければならない.
我々は,変革の世の中を迎えてどう対応すべきであろうか.その「戦略」としては,「今,世の中にどんな変化の波が起きてどんな風が吹いているか」を知って,時代や社会の変化を追い風にする必要がある.COVID-19により,社会や経済,働き方や生活様式,そして個人の嗜好や生き方に至るまであらゆるものが大きく変化する大変革期が到来している.COVID-19はこれまでのデジタル・トランスフォーメーションのスピードを大きく加速させるとされるが,残念ながら日本は他国の後塵を拝しているように見える.しかし,今回のパンデミックをきっかけに多くの国民の間で芽生え始めている「これまでとは違う生活や生き方もあるのではないか」という社会意識の変革,人工知能などによるデータ駆動型社会の重要性の認識,各種ICT技術を活用した医療・ヘルスケアに対する強い期待を背景にして新たな社会を作り上げることができる千載一遇の好機なのではないか.これからの時代は,「医療・ヘルスケア×テクノロジーדヒューマン”」を基盤として,人間中心の医療や人間中心のAIを実践していくしかない.最も重要な“ヒューマン”を具現化するには,医療現場に近い我々医療従事者が積極的に参画することが必要不可欠なのだ.我々は,ICTを最大限活用して従来の常識から脱却して患者さんや国民に真に向かい合った次世代医療を一緒に作り上げていく必要がある.
次世代医療を創り上げることができる人材とはどのような人材であろうか.このようなパンデミック時代や人工知能時代などの革新的な変化に対応して次世代医療を実現させるためには,① 指数関数的進化に対応するための常識からの脱却,② 医療以外の分野との異種融合,③ デジタルネイティブ世代の積極的活用が重要である.Sony研究所所長の北野宏明氏は,「新しい研究は,一人の研究者が複数の分野をよくわかっているときに新しいものが生まれる確率が高い.それは,自分の中で複数の分野を越境しているからです」と述べている.元リクルート・元奈良市立一条高等学校校長で教育改革実践家である藤原和博氏は,「3つの異なった領域でそれぞれ100人に一人の存在になることで掛け算(1/100×1/100×1/100)によりオリンピックのメダリスト級の希少性,100万人に一人の希少性を持つ人材となりえる」とした.さらに,Yahooの安宅和人氏は「これからの未来を創るカギになるのは,普通の人とは異なる“異人”である」として,「ある領域でヤバイ人.夢を描き複数の領域をつないで形にする人.どんな領域でも自分が頼れる凄い人を知っている人」と定義した.現在の人工知能は異なった分野を新たに統合させて考えることは不可能である.今後は,自分により多くの異なった複数のタグ(専門性)を持つダブルメジャー,トリプルメジャーの人材となることが求められる重要な時代になった.まとめると,次世代医療を創ることができる人材とは,医療に関わるというプロフェッショナリズムを持つことは当然として,① 未来は予測できないため,目指し自ら創るものであると考えられる,② 広い視野を持ち常識に捉われない,③ 複数の専門性を持つ(ダブルメジャー,トリプルメジャー),④ 分野を越えた共創を積極的に推進する,⑤ 人と異なる道を良しとする勇気を持つ,ような人材であると信じている.このような人材が日本の社会や医療を変える原動力となると信じている.
さて,本書は本学で行っている『未来の医療を創る“医療人2030”育成プログラム(https://mariannadhcc.jp/)』中の医療AIセミナーを行っている仲間たちと企画させていただいた.本書を読んでいただくことで,医療・ヘルスケア×AI/ICTというダブルメジャーの一員となる準備ができることを確信している.
聖マリアンナ医科大学大学院医学研究科
医療情報処理技術応用研究分野 教授
小林泰之