はじめに
2006年に本書の初版を上梓してから12年余りの日々が流れました.これまでに数回の改訂を行ってきましたが,今回は小児科医にとって15年以上の悲願でもあった成育基本法(詳しくは「第1章 成育基本法とその周辺」をご覧ください)が成立したことを受けて,これからの乳幼児健康診査(以下,乳幼児健診)を含む母子保健行政が大きく変わっていくことを踏まえて改訂することにしました.
さらに,コンピュータやタブレットPC,スマートフォンなどICT(information and communication technology)の発展も乳幼児健診を含む母子保健全体に大きな影響を及ぼしていますし,社会的にも話題になっている発達障害の早期発見・対応や増えている児童虐待の問題も密接に関係していますのでこれらについても頁を割きました.
乳幼児健診は,わが国では母子保健法第12条によって実施が定められていますが,法律で乳幼児健診を定めている国は多くはありません.しかし,すべての子どもたちを対象として実施することが義務づけられているこの乳幼児健診には,たくさんの小児科医や内科医,保健師を始めとする多様な職種がかかわってきたにもかかわらず,不思議なことに乳幼児健診を仕事の中心にしている“専門医”や“保健師”はいません.現実には医師にとっても保健師にとっても,乳幼児健診は日常診療や行政事務の合間に行っていることがほとんどだと思います.また,乳幼児健診についての講義を学生時代にも研修医の時代にも受けてきているわけではないので,私自身にとっても手探りでその方法を習得してきました.それではいけないと考えて日本小児科学会や日本小児保健協会でも,さまざまな講習会を担当して行ってきた経緯があります.
経験則に基づいての健診ではどうしても個人差や地域差がでることが避けられませんので,多くの都道府県では「乳幼児健診マニュアル」などを編集していますし,厚生労働省でも小枝班で2018年に「乳幼児健康診査身体診察マニュアル」,「乳幼児健康診査事業実践ガイド」をだしています(巻末の「参考文献」を参照).ただし,これらは多数の著者によって執筆されており,乳幼児健診およびその周辺を同じ感覚で描きだしているわけではありませんし,読みやすさをめざしているわけでもないと思います.
初めて私が乳幼児健診に携わったのは今から40年以上も前のことですが,それ以来,手探りを続けながら,多くの先人や同僚たちから知識や技術を学んできました.実際に,乳幼児健診のやり方を拝見しにでかけたことも何回もありました.また,ヘラブナを釣る名人とよばれていた方とお話をさせていただく機会があったときに,「釣りの初心者が最初にするのがヘラブナ釣り,60年釣りをしてきて最後にたどり着くのもヘラブナ釣り」という話を伺ったことがあります.要するに,ヘラブナは初心者でも釣ることはできますが,熟練の技があればまた違った奥行きがあるということなのでしょう.ちなみに私は釣りを2度ばかり経験して1匹も釣れませんでしたが,乳幼児健診はまさにヘラブナ釣りのようなものだと感じています.
こうしたなかで,おそらく何万人もの子どもたちと乳幼児健診の場で触れ合ってきました.あとで思いだすと冷や汗のでるような失敗の数々もあります.毎週のように集団での公的機関の乳幼児健診にかかわってきた行政職の時代もありました.今も,頼まれて集団健診をお手伝いしたり,若い先生と一緒に勉強したり,下の子が生まれたので心配だからみてほしいというリクエストに応じるなど,さまざまな形で乳幼児健診にかかわっています.こうして過ぎてきた日々ですが,自分では乳幼児健診はまだまだ上手になれるのではないかと思っていますし,そうなるための努力もしていきたいと考えています.
乳幼児健診は基本的にスクリーニングですから,理論的にも一定の確率で見落としが発生します.もちろん,それを少なくするための努力をする必要がありますが,限られた時間と資源のなかでのチェックでは十分とは限りません.しかし,どのようにして見落としを避けるための努力をするのか,どのようにすれば不要な負担や心配をさせないですむのかについてはまだまだ考えていく必要があると感じています.
本書の初版の上梓にあたっては,診断と治療社の土井陽子さんに遅筆への励ましも含めて大変お世話になり,今回の版では土橋幸代さん,田沢静子さんにお世話になりました.心よりお礼を申し述べたいと思います.最後に,本書の初版からいろいろなご指導やご助言を賜りました福岡の松本壽通先生が2018年秋に逝去されました.この版を先生にみていただけなかったことが悔やまれます.ご冥福を心からお祈りいたしております.
2019年4月
平岩幹男