言語機能系の再学習プロセスに向かって -失語症のリハビリテーションのために-

  • ページ数 : 216頁
  • 書籍発行日 : 2022年3月
  • 電子版発売日 : 2024年7月2日
¥4,400(税込)
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商品情報

内容

行為、思考を生み出す言語機能系
リハビリテーションの評価と治療のさらなる可能性


脳の言語処理に関わる機構は人間の複雑な神経システムの仕組みであると同時に、人間が世界や他者と関わり、その実現手段としての行為を意味づける思考を生み出す仕組みでもあります。
本書は、失語症に対するリハビリテーション治療をテーマに、その障害を人間の神経機構と心理・文化・社会的な文脈とを橋渡しする高度に発達した言語機能系の障害として捉え、それに対するリハビリテーションの評価方法と具体的な訓練方法の流れを紹介。

人間のコミュニケーション能力を支えている仕組みそのものに対するリハビリテーション治療のさらなる可能性を提言する画期的なテキスト。
言語聴覚士のみならず、運動機能障害に関わる理学療法士や作業療法士にとっても極めて有益な内容です。

序文

まえがき

言語は記号であり、失語症はその解読や符号化の障害である。教科書の目次を見ると、言語は、注意、記憶、思考などと独立して項目立てられている。症例検討会で失語症例を提示すれば、他の高次脳機能障害はどうか、知能は保たれているのか、心理面はどうかといった質問を受ける。私にとって言語は、他のこころの働きと隔たりのある個別的なものとなっていった。失語症は、ことばの理解や表出だけが難しくなるコミュニケーションの障害であり、「外国に突然放り出されたような状態」という喩えは的確だと考えていた。失語症臨床では、日常生活場面の観察、会話、問診、神経心理学的検査から、理解と表出を評価していく。検査では理解できないことばを、生活では理解できる。訓練室では言えるのに、生活では言えない。自分の想定を超える現象は、日々当たり前のように生じた。ある男性患者に対する呼称課題。猫の線画を見て、「これはネコ」と答えた。正答だ。男性は続けた。「ネコってなんだっけ?」。

別の男性患者に対する漢字単語読解課題。線画の1/6 選択に、指さしで答えた。正答だ。男性は首をひねる。「どれかって言われればこれだけど、なんでかがわかんないんだよな…」。前院より、〝軽度の失語症が残存しているが、検査上その他に問題はない〟という申し送りのあった女性患者。転院後は他患とのトラブルが絶えなかった。その理由を直接問うと、答えてくれた。「私は失語症といって、脳内のことばの辞書がだめになっているだけで、他は何も悪くないんです。けんかになるのは、周りの人間がばかだからなんです」。言語記号の解読・符号化の障害というのは、単にできるかできないかで線引きできるものではないらしい。評価を通して確認できるのは、患者が理解していそうな反応をするのか、状況にあっていそうな発話がみられるのか、それだけのようだ。その判断は、コミュニケーション相手に委ねられるのである。一方で、言語は他者に向かうと同時に、自己へも向かう。患者は自己の言語をどのように認識し、どのように捉えているのか。その状態が全体としての心理活動にどのような影響を与えているのか。失語症臨床を進めるには、実際の脳画像や臨床症状と神経心理学の知見を照らし合わせるように、本人のことばや観察される現象と照らし合わせる「何か」を学ぶことも必要かもしれない。その「何か」は、古くはルリヤがロマンティック・サイエンスという用語で示してくれている。セラピストであれば誰でもルリヤを知っているが、誰もがロマンティック・サイエンスの意味を知っているわけではない。

評価の後は、訓練である。一定期間実施した後、その効果を測定する。日々の課題成績の変化だけでなく、神経心理学的検査、日常生活場面での会話、訓練効果の持続性などを再評価していく。再評価結果を本人や家族へ説明することで、思いの違いに気づかされることが何度もあった。

中等度伝導失語の男性患者。失語症検査で著明な改善を認め、日常会話における音韻性錯語も大幅に減少したと考えた。明るい気持ちで改善を説明すると、厳しい答えが返ってきた。「こんなしゃべれない状態じゃ困る。こっちは生活がかかっている」。本人も家族も、表情は暗かった。

重度ブローカ失語の女性患者。失語症検査では著変なく、自発的な発話は変わらず困難であった。申し訳ない気持ちで状況を説明すると、家族は答えた。「こっちの声かけに答えられるようになってきて、本当に嬉しいです。リハビリのおかげです!」。本人にも家族にも、笑顔がみられた。

言語は、コミュニケーションという両者の相互作用の間に生まれる。その際、セラピストと患者の間には、二人称(わたしとあなた)的に向かいあう視点だけでなく、一人称(わたしたち)的に同じ目標へ向かっていく視点が存在する。目標を共有できていなければ、系統的に訓練計画を立てることは難しい。共有できたとして、その目標が現実的でなければ、効果的に訓練を展開できるとは思えない。失語症臨床を進めるには、言語の学習のための要件に関する「何か」を学ぶことも必要かもしれない。その「何か」は、古くはヴィゴツキーが発達という枠組みで示してくれている。セラピストであれば誰でもヴィゴツキーを知っているが、誰もがその発達の理論を知っているわけではない。

ことばという目に見える現象の背景には、直接目に見えない神経生物学的機構が存在する。あるいは目に見える(物理的な)神経生物学的機構により、言語という目に見えない機能が創発されると言い換えることもできる。失語症は一度獲得された言語機能が脳の器質的損傷により障害された状態であることから、その評価・訓練においては脳の生物学的機構と言語活動の関係を捉える必要がある。同時に、言語活動を生み出す脳の生物学的機構の回復を、その言語活動の生産の場において目指していくことになる。失語症臨床では、言語の神経生物学的機構の知識と同じように、言語活動の意味について考えるための知識が重要となるだろう。そのため本書では、学問領域を問わず、人の言語活動という視点を軸に、自分の臨床を振り返るきっかけとなるような内容を提示したいと考えている。

第1章は、主に心理学・言語哲学的視点から解説している。はじめに、人の言語活動とはなにかを考えるための前提として、人は社会的存在であることをみていく。日常における人の活動の中心は、ことばによる他者との対話的な関わりである。ゆえに、言語活動について考えるということは、生きて活動している人の現実を問うことでもある。人は他者との対話を通して、自己の思考や意識について自覚する。対話による他者との意味の共有と個人の意味世界は円環関係にあり、社会の中で「生きたことば(その人)」が構築されていくのである。本章では、言語の再学習の基盤として、ことばを対話活動すなわち外部に向けた主体の行為と捉え、「言語治療という臨床の『トポス(場)』のダイナミズム」について考えていく。

第2章は、主に脳・神経科学的視点から言語活動を解説している。失語症者との対話を理解するうえで必要な基礎知識を、「機能系」という視点から整理する。行為としての言語を支えるのは、まぎれもなく脳である。一方で、身体があるからこそ、その行為を実現でき、感情をともなう経験を積み重ねることができる。そのため本書では、言語と身体の関係性の理解が必須であると考え、解説を加えている。また、本章の最後に、失語症者の神経学的回復に関する知見を紹介している。本書の目指す言語の回復とは、失語症検査により測定可能な側面の改善にとどまらず、「生きたことば」の再学習を射程に入れていることを前提に、ご一読いただきたい。

第3章では、患者との対話において、患者の言語活動をどのように捉えることができるのかを考える。その前提として、まず、言語は身体性とともにどのように発達するのか、言語はどのように解読・産生されるのか、心理学や言語学の知見を参考に解説している。第2節以降は「対話」をキーワードに、言語行為に関連する理論を振り返り、実際の言語記述を例に挙げながら、身体行為・言語行為にともなう意識経験の分析を試みていく。なお、本章の最後に、対話を想定した訓練の基本的手続きを概説している。

第4章では、実際の臨床展開を紹介している。患者の抱える問題を考察し、問題に応じた再学習の方法を、その判断の根拠とともに提示している。個別性の高い臨床において、セラピストが何をどのように判断し、何に重きを置いたのか、いわゆる症例研究・報告では通常書かれることのない過程に焦点を当てるという試みである。また、失語症例以外に、片麻痺・失行症例、発達障害児について掲載している点も本章の特長だろう。身体・行為、発達という異なる視点から、言語を再考するきっかけを提供したいと考えている。その人にはその人の世界がある。その世界は社会の中で、他者との言語を介した対話により構築され、整理されている。言語の回復を目指す臨床の場もまた、常に「対話」という状況のなかで進んでいくことを忘れてはならないだろう。

人が社会的な生き物であるという前提に立てば、言語の回復を目指すことは、全人間的復権としてのリハビリテーションそのものではないだろうか。本書が、失語症者とのリハビリテーションに少しでも役立つものとなれば幸いである。


稲川 良

目次

【第1章】言語治療の本質を理解する-言語治療という臨床の「場(トポス)」のダイナミズム(佐藤公治)

Ⅰ 日常の生活のなかのことば

Ⅱ ことばによる対話的関わりと行為の生成論

Ⅲ バフチンの言語論と対話論

Ⅳ バフチン、ことばのカテゴリーと対話関係

Ⅴ 人間の精神を複数の機能連関としてみる視点

Ⅵ ヴィゴツキーの言語と思考について

Ⅶ 言語学における日常言語学と言語行為論

Ⅷ 言語行為論から失語症のリハビリテーションを考える

【第2章】言語機能系の神経科学の基礎-臨床のために不可欠な理解

Ⅰ 言語の神経機構(稲川 良)

Ⅱ 言語と身体性の認知神経科学(安田真章)

Ⅲ 言語機能系(稲川 良)

【第3章】言語行為論からみた言語機能系の働き

Ⅰ 言語機能系の役割(安田真章、稲川 良)

Ⅱ 言語と行為(稲川 良)

Ⅲ 言語機能系の評価(稲川 良、安田真章)

Ⅳ 言語機能系の訓練(稲川 良)

【第4章】言語機能系の再学習の臨床思考-現場の思考を伝える

Ⅰ 失語症の治療

 [症例1] 修正行為を繰り返す伝導失語症例(木川田雅子)

 [症例2] 自動性と意図性の乖離に対し音韻処理に関する多感覚情報の統合および変換課題を実施した重度感覚性失語症例(湯浅美琴)

 [症例3] コミュニケーションにおける相互性にアプローチした発症7年経過した重度運動性失語症例(湯浅美琴)

 [症例4] 発症後9年経過した軽度失語症(残遺失語)症例における意識経験と言語記述の分析(稲川 良)

 [症例5] 発症後11年経過した重度Broca失語症・発語失行(失構音)症例に対する異種感覚情報変換課題の試み(稲川 良)

Ⅱ 片麻痺、失行症の治療

 [症例1] 失行症(錯行為)(安田真章)

 [症例2] 左片麻痺(安田真章)

 [症例3] 右片麻痺(安田真章)

Ⅲ 発達障害児への支援

 [事例] 自閉スペクトラム症(ASD)児のコミュニケーションに対する介入経験(湯浅美琴)

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書籍情報

  • ISBN:9784763995360
  • ページ数:216頁
  • 書籍発行日:2022年3月
  • 電子版発売日:2024年7月2日
  • 判:B5変型
  • 種別:eBook版 → 詳細はこちら
  • 同時利用可能端末数:3

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