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- 「日常言語」のリハビリテーションのために -失語症と人間の言語をめぐる基礎知識-
商品情報
内容
本書の目的は、失語症を鍵として、人間の言語の本質を言語学、心理学、哲学、あるいは人類学といった広い視点から紐解いていくことです。
これまで主として脳・神経科学的あるいは神経心理学的な機能研究によって理解が深められてきた失語症に対して、「日常言語」、すなわち人間のコミュニケーション行動を言語がどのような形で成立させているのかという観点から光を当てることによって、よりいっそうリハビリテーションの実践に近接した知識を提供しようというものです。
失語症のリハビリテーションに携わる言語聴覚士はもちろんのこと、失語症を有する感覚・運動障害のリハビリテーションに携わる理学療法士、作業療法士にとっても必読のテキストです。
序文
はじめに
人間にとって言語は自らの思考を支えていくものであり、世界を認識していくために不可欠なものである。そして、何よりも言語の中でも特に話しことばは自分の周りにいる人たちとの言語的関わりを通して、社会的活動を展開していくうえではなくてはならないものである。この社会的に関わっていくという経験は社会的存在としての自己の存在を形成していくものでもある。人間は根源的に社会的活動なしには人間たり得ないということであり、言語は人間的尊厳にとっては不可欠のものである。
不幸にして言語の働きに支障をきたしてしまった時には、日常生活に大きな障害をもたらしてしまう。だが、同時に失語症によってことばの働きに支障をきたしてしまった人たちも残されたことばの機能を使って周りの人たちと懸命に関わっていこうとするし、何とかことばの機能を少しでも回復させるためにリハビリテーションの訓練に励んでいこうとする。そこには人間が絶えずことばを通して他者と関わり続けていこうとする、人間が持っているその根源的な姿が見えてくる。
言語の障害、特にことばに障害を抱えることを考えることは、人間にとっての言語とはどういうものであるのか、その本質を議論することでもある。そのことは同時に、言語の障害とそこからの回復をめざしていこうとする人たちの治療と支援に関わり、実践的な問題に取り組んでいる言語聴覚士の人たちにとっても、人間にとっての言語とはどういうものであるのかという本質の問題を考えていくことである。失語症の研究として今日でもその中心にあるのは、脳科学や神経科学の研究を背景にした神経心理学であり、またそれらの知見による臨床研究であり、実践的なリハビリテーションの研究だろう。だが、同時に失語症については、言語という人間の心に関わる問題でもあることから、哲学上の重要な問題をそこに含んでおり、当然のことながら言語学や心理学の問題でもある。本書は、失語症の実践的研究やリハビリテーションの問題を詳細に論じようとするものではなく、言語の働きについて言語学、心理学、哲学、あるいは人類学を言語の視点から論じた言語人類学の研究といった広い視点からみていこうとするものである。もちろん、言語の問題を考えていく時、言語の機能に障害を持ってしまったことから言語の本質が明らかになってくることは当然のことであり、その意味では本書でもフロイトやベルクソン、ヤコブソン、そしてルリヤといった人たちが失語症の問題に取り組んだ研究についてみていくことになる。これらの研究はいずれも、失語症からみえてくる人間にとっての言語とは何なのか、さらには人間の基本的な活動とは何であるのかということが常に議論されている。
もう少し失語症を巡る議論のいくつかをみていこう。認知心理学の世界では、知能の多重性で知られ、また創造性教育についてのハーバード大学の「プロジェクト・ゼロ」を牽引してきた人物であるガードナー(Gardner, H)が脳損傷の問題を論じた『The Shattered Mind』(1977)を書いている。「閉じられた心」とでも訳される著書だが、この中で失語症の症例研究、ウェルニッケ、リヒトハイムといったヨーロッパの神経学者と共に知られているデジュリンが問題にした失読症についてとりあげ、さらにゲルストマン症候群は事実なのかといったいくつかの重要な問題を論じている。ここでは、このガードナーの大部な著書を紹介することが目的ではないし、その内容を正確に記述することは難しいので控えるが、彼が人間の認識や知能を多重な機能連関として考えた視点から指摘していることで注目しておきたいのは、言語活動の中心にあるのが左半球の機能であることは誰一人として異論はないものの、言葉の意味レベルや言葉で表現されていることを情感として感じるためには右半球の働きも重要であるとしていることである。右半球を損傷した人の場合はこのような言葉の意味や情感に関わる言語機能が正常に働いていない、というのである。いわば言語機能は保たれているが、言語の運用、プラグマティックな部分に右半球が関わっており、言語機能の制御部分にもなっているのではないかという指摘である。可能性としては、右半球の言語機能として言語の情動に関する処理に関わっているということなのである。たしかに左右の半球はバラバラにあるわけではないが、とかく言語の問題では左半球が注目され議論されているのに対して、ガードナーならではの議論をしているといえよう。
さらにもう少し時代を遡ると、精神分析では誰もが知っているフロイトが若い頃に神経学者として『失語症の理解にむけて─批判的検討』(1891)を書いている。これについては、本書の第1章でみていくので詳しいことはここではふれないでおくが、彼は当時の失語症理論の中心であったブローカ、ウェルニッケ、そしてリヒトハイムといった人たちが主張していた局在論を批判している。今日でも、ブローカ野については批判的に議論されていることは良く知られているが、この論文では反・局在論の立場からフロイト独自の失語症論を展開している。
あるいはフロイトの議論に続いて、哲学者のベルクソンが『物質と記憶』(1896)の第2章で「イマージュの再認について」を書き、その中で失語症を論じている。ここで彼は当時の神経学や大脳生理学を詳しく検討している。ベルクソンは当時の大脳生理学の知見、あるいは失語症に関する理論を詳細に検討したうえで、言語に関わる記憶は脳に局在的に蓄積されているわけではないと結論している。フロイトと同様の反・局在論の立場で失語症を問題にしているのである。この二人は、1890年代の失語症研究の中でも独自の考え方を展開していたが、いわば失語症の脳機能を中心とした研究とは距離を置いていた立場からの主張である。言語に関心を持つヴィゴツキー、そして彼の研究を継承して独自の失語症研究と神経心理学を構築していったルリヤは、言語とその発達研究を基礎にしながら言語の障害の問題へと研究を進めていった人たちである。心理学の仕事として失語症の問題に関わりながら、人間にとっての言語とは何かという理論的な問題を論じている。
言語学者のヤコブソンも、音韻論研究を基礎にした失語症を論じている。彼はルリヤと同じように言語発達も研究していたが、そこから幼児の言語発達と失語症との関係を論じている。このように、ヴィゴツキー、ルリヤ、ヤコブソンは、失語症の問題からみえてくるものとして、人間にとっての言語とは何かという大きな問題を論じていた。このような先駆者たちの研究とそこでの議論を避けて通ることはできない。これらについては本書の前半部分の複数の章で詳しくみていくことにする。
本書の後半では、失語症のコミュニケーション能力についての研究をとりあげる。失語症のリハビリテーションでは構音訓練や呼称訓練といった正常な言語能力の回復がめざされている。だがその一方では、失語症者は残された言語能力やプロソディー表現、あるいは言語以外のジェスチャーや指差しといった身体による記号的表現を用いて周りの人たちと意志疎通を図っていこうとする発想から考える研究がある。特にここで注目したいのは、応用言語学者、あるいは人類学者として会話分析の手法を使いながらさまざまな日常現場の中での相互作用を研究しているグッドウィンが取り組んでいるもので、失語症者が日常生活の中で家族とどのような会話を展開しているか、その談話過程を映像の分析から明らかにしたフィールド研究がある。その他、失語症のコミュニケーション能力の改善をめざした実践的な研究もいくつか行われている。失語症の訓練として構音訓練などの基本的な言語課題に取り組みながら言葉の回復をめざすことが必要なことは言うまでもないが、同時に、言語訓練としては言語の運用や使える言語手段を使って相手との会話可能性を実感していくことを目標とすることも必要だろう。完全に言語の回復ができなくても残されたコミュニケーション手段を使っていくこと、そのための経験を蓄積していくことは、とりわけ在宅のリハビリテーションの重要な課題として位置づけられるだろう。
失語症者が日常生活の場でどのようなミュニケーション活動を展開しているか、またそれがどこまで可能になっているかという問題は、言語について状況論、あるいは語用論という視点から議論していくことでもある。これは広く言語活動を社会的な活動としてみた時に、言語の使用の背景にあり、またその活動を支えている社会・文化的な要因を明らかにしていくことに他ならない。それは言語活動を他者とことばを通した社会的活動という実践的な目的としてあるとするプラグマティックな観点から言語をみていくということでもある。グッドウィンの研究もこのような研究の枠組みの中に位置づけられるが、さらに米国を中心に行われているもので、人類学的視点から言語を社会・文化的に論じていく、いわゆる言語人類学の一連の研究がある。ここで議論していることは、言語の中でも話しことばを社会的な相互作用としてみること、ことばが展開される状況や文脈の中で議論していくことを重視した言語哲学者のバフチンと心理学者のヴィゴツキーの研究とも関連している。バフチンについては本書の第5章でみていく。
もう一つの言語研究として、英国の日常言語学派がまさにその名前の通り、日常生活の中で使われている言語機能とその意味を哲学的に考察している。その代表はオースティンであり、ウィトゲンシュタインである。彼らは言語を統語論や構文論といった形而上学的な文法規則としてみるのではなく、あくまでも現実の生活の中で使われている言語に注目しながら、主に話しことばを中心にして他者との関わりとして起きていること、そしてことばの本質としてあるものを論じている。本書で議論することは、失語症についてこれまで論じてきている神経科学や神経心理学の研究や、失語症のリハビリテーションの実践的研究では必ずしも扱われることがないような、言語についてのいくぶん理論的な問題を扱っている。ここで論じていることが直ちに失語症の治療現場の問題解決とはつながらないかもしれない。だが、失語症は明らかに言語の本質に関わる問題であり、そもそも人間の精神活動、さらには人間存在として言語がどのような意味を持っているかを議論していくことは言語機能の回復を考えていくうえで大切なことだろう。
なお、日本語では漢字表記の「言葉」とひらがな表記の「ことば」の2つがあり、明確なく使い分けがあるわけではなく、時にはどちらかを統一して使用していることもある。本書ではこれら2つをおおよそ次のように区別して用いていくことにする。「ことば」は他者との間で交わされる具体的な対話の活動として用いる場合で、英語ではspeech に相当するものである。他方、「言葉」の方は抽象的な意味合いを持った言語表現の総体を意味するものとし、英語のword に近いものである。ロシア語の場合には明確な区別がある。本書で取り上げているヴィゴツキーとバフチンの場合には、ロシア語のречъ(レーチ)を「ことば」、слово(スローヴォ)を「言葉」としてはっきりと区別している。レーチはことばの動的な働きに注目したものであり、スローヴォは言葉として静的な形で存在していることを表現しているということで、本書でもほぼこれらの表記の仕方に準じた用い方をしていく。以下、本書の章構成と各章の内容について簡単にみていこう。
第1章の「フロイトとベルクソンの失語症論」では、若い頃のフロイトが神経学者として失語症に取り組んだ研究と、哲学者のベルクソンの失語症論をみていく。二人に共通しているのは、失語症の発生を脳の特定の部位の損傷によるとするブローカ、そしてウェルニッケの局在論ではなく、脳の各機能の連関の仕方の障害であるという機能論で説明していることである。彼らは言語を心的活動としてみて、言語装置を神経線維やその束というハードな側面でみていく神経学や脳科学からの説明ではなく、心理的活動による形成と、その逆の崩壊の過程としてみていこうとした。
第2章の「ヤコブソンの言語論と失語症論─ 言語学からみた失語症─ 」は、言語学者のヤコブソンの失語症論で、特に彼が言語の発生順序とは逆の順序で言語の障害が生じるとしていることに注目する。そこには言語機能を層構造とその間の連関としてみていく発想があった。
第3章の「ヴィゴツキーの言語論─ 言葉とその働きを考える─ 」では、ヴィゴツキーが思考活動と密接に関わっているものとして言語を論じていたこと、そして、言語の中でも社会的な活動を展開していくための話しことばの存在とその機能に注目していたことをとりあげる。彼は人間の発達を社会・文化的な枠組みの中でみていくことで正しく人間精神の本質を論じることができるとしたが、そこで大きな役割を果たしているのが文化的道具としての言語である。
第4章の「ルリヤの心理学研究と失語症研究」では、心理学者ルリヤの言語研究と神経心理学者としての失語症研究をみていく。彼はヴィゴツキーと共に文化的発達の問題に取り組み、また言語発達についての独自の研究を行ったが、彼が失語症と神経心理学の研究を始めるきっかけになったのは、第二次世界大戦で銃弾を頭に受けて意味失語症になった人物との出会いであった。ここではルリヤの失語症論とその治療のために彼が研究したことをみていく。
第5章の「バフチンの対話論─社会的活動としてのことば─」は言語哲学者バフチンの言語論であるが、彼の理論の中でも特に生活の中で他者との会話として使われる話しことばを中心にみていく。そこでは、社会の中のことばの現実的な単位として、声に注目し、その役割を詳しく論じている。バフチンはことばによって他者とつながる中で他者の視点を取り込んだ自己が形成されるとした。
第6章の「日常場面での失語症者のコミュニケーション」では、失語症のコミュニケーションの実際に迫った米国の人類学者として、コミュニケーション分析で知られるグッドウィンの研究を主にとりあげる。その他、彼の研究を含めて欧米の失語症研究でコミュニケーションを論じているものをみていくが、日本でもその取り組みが始まろうとしている。第7章の「日常言語の世界とその言語活動」で扱うのは、言語を日常生活における活動という視点で論じた英国の日常言語学派のオースティンとウィトゲンシュタインの研究である。さらに、ここでは日常の言語活動を基礎にした失語症の言語訓練のあり方について論じた研究もみていく。
[文献]
Gardner, H(1977): The shattered mind: the person after brain damage. London,Routledge and Kegan Paul.
目次
【第1章】フロイトとベルクソンの失語症論
1.失語症研究、多様な視点から論じる必要性
2.フロイトの失語症論-脳局在論批判-
3.ベルクソンの失語症論-『物質と記憶』・第2章における議論-
【第2章】ヤコブソンの言語論と失語症論-言語学からみた失語症-
1.ヤコブソンの失語症への取り組み
2.ヤコブソンの音韻論研究
3.音韻論研究からみた幼児の言語発達と失語症者の言語の退行
4.言語学者ヤコブソンの失語症論の特徴とそれが意味するもの
5.ヤコブソン、その学問的影響の広がり
【第3章】ヴィゴツキーの言語論-言葉とその働きを考える-
1.ヴィゴツキーの人間精神に対する基本姿勢-社会文化的接近-
2.思考することと話すことの間の相互性
3.ヴィゴツキーの心理学理論の根幹にあるもの:文化的発達論と心理システム論
4.ヴィゴツキーの層理論
5.具体的な存在としての人間:ヴィゴツキーの具体心理学と情動の理論
【第4章】ルリヤの心理学研究と失語症研究
1.具体の世界に生きる人たち:認識の文化比較研究
2.ルリヤの言語研究:言葉の発達とその障害への新しい接近
3.脳損傷者の手記と脳の機能連関
4.ルリヤの前頭葉シンドロームと随意行動の傷害
5.ルリヤの理論と実践の融合:ロマン主義科学
【第5章】バフチンの対話論-社会的活動としてのことば-
1.バフチンの言語論:生活の中の生きたことば
2.バフチンの生きたことばへのこだわり:ソシュールのラング論批判
3.社会的な活動としてのことば
4.バフチンの対話におけることば的意識論と身体論
5.バフチンの自己・他者論
6.改めて日常生活の中のことばと対話を考える
【第6章】日常場面での失語症者のコミュニケーション
1.失語症のコミュニケーション的アプローチ
2.日本における失語症のコミュニケーション研究
3.グッドウィンのフィールド研究:相互行為と会話の組織化
4.失語症者の日常におけるコミュニケーション行動:グッドウィンの研究
5.失語症者の日常の会話
6.ユニークな失語症のコミュニケーション訓練
7.失語症のコミュニケーション研究のさらなる展開に向けて
【第7章】日常言語の世界とその言語活動
1.日常言語学派の言語研究
2.オースティンの発話行為論
3.発話行為論の限界:発話媒介行為と約束の問題
4.日常的言語活動を基礎にした失語症の言語訓練
5.ウィトゲンシュタインの日常言語研究
6.日常言語学派から示唆される失語症者のコミュニケーションとその在り方
7.ヤコブソンからシルヴァスティン、そしてハンクスへ
8.本章のまとめとして
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書籍情報
- ISBN:9784763995513
- ページ数:220頁
- 書籍発行日:2023年1月
- 電子版発売日:2024年7月2日
- 判:A5判
- 種別:eBook版 → 詳細はこちら
- 同時利用可能端末数:3
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