序

高齢者社会における医療の目的は単に寿命を延ばすことだけでは十分ではない．高齢者が活動性を維持して，その能力を発揮しなければ社会は維持できない．高齢者における運動機能の維持と増強は，個人的な問題だけでなく，社会的な課題でもある．

従来から，整形外科医は骨や関節の形態と機能を詳細に分析し，障害の程度を評価してきた．日常生活動作の評価は，整形外科からスタートしたと言っても過言ではない．しかし，高齢者の運動機能障害は加齢に伴う全身的な機能低下を背景にして，個々の運動器の退行性変化が重複していることが多い．したがって，まず，全身的な運動能力を的確に評価し，そのうえで，局所を観察し改善できる点と改善できない点を区別して，対処することが必要である．「あなたの障害は加齢によるもので治療できません」という医師の言葉に納得できない患者は，たとえ自らの持てる能力になお余力があっても，これを十分に発揮することはできないであろう．いわゆる「老化現象」という説明は，医師自らの知的限界を吐露するだけでなく，かねがね不満と不安を感じている患者にとって，運動機能をさらに悪化させる要因ともなりえる．

高齢者の運動器疾患の治療にあたっては，まず，全身的な運動能力を的確に評価することが必要である．そのうえで，局所における退行性変化にもとづく運動器固有の病態を分析する．手術的治療が有効であると判断された場合には，周術期の管理を含めた計画を立てる必要があり，保存療法，手術療法のどちらを選択する場合でも，機能訓練にあたっての特殊性を理解しておかねばならない．高齢者では，青壮年期より蓄積されてきた生活習慣に関連する全身的な代謝異常を有しているのが，むしろ普通であり，全身的合併症の配慮もしなければならない．さらに，患者とともに家族を含めた周囲の人々の負担を軽減するには，高齢者に特有な保健医療や福祉などについての知識も必要となる．

そこで本巻では，加齢による全身的な運動機能の低下とその評価，運動器の局所的病態，全身管理，リハビリテーションとともに，福祉，介護，家族の負担などについての記載を含むことにした．もとより，このような広範な内容は，整形外科医だけでカバーすることはできず，様々な領域の専門家に執筆をお願いした．結果的には，運動器疾患の教科書としては，類書に見られないユニークで実用的なものになったと思っている．ご執筆の方々に感謝するとともに，本巻が高齢者医療を実践されている多くの方々のお役にたつことを願っている．

2007年1月

専門編集 中村 利孝
産業医科大学整形外科学教室教授