序
統合失調症の外来診療は変わっただろうか
〈外来精神科診療シリーズ〉の本巻は,統合失調症と気分障害からなっている.ボリュームからすると気分障害のほうがやや多いかもしれない.しかも,かつてならこのようなシリーズが組まれるときには,統合失調症ならばたとえば(I)(II)(III)などとシリーズ中の何巻かを占める存在であったのが,今回は他の精神障害とほとんど同じ扱いとなっていることに,まさに昔日の感を覚える.
私が精神科医になった頃,1980 年代のはじめには,オイルショックからは日がたっていたとはいえ日本はまだ高度成長期の余韻を残しており,精神病院はひたすら進歩を信じる忙しい社会から振り落とされた人々の救護所であった.それはまた,統合失調症,当時精神分裂病といわれた人々そのものであった.精神医学の使命は統合失調症という病気の解明にこそあると大まじめにいわれていた.それから30 年,この社会の停滞とともに,精神医学の関心は,多彩に広がると同時に,その輪郭を失いつつある.
本巻では,統合失調症そのものについて,これまでの教科書にあるような精神病理や原因論を論じたりすることは避けた.それは他の類書に十分すぎるほど書かれている.そうではなくて,かつて統合失調症の治療と地域での支援をめざしてクリニックを開いた先人たちが積み上げてきたものを,もう一度確認しなおすことをめざした.もちろん,薬理学的なトピックや就労支援やアウトリーチなど,最先端の事柄もとりあげているが,それらもこれまでに積み上げられた軌跡の延長にあるものとしてとらえた.そうしなければ,役割が多方面に分岐し細分化していく現代の精神医療の現実のなかで,統合失調症の治療・支援は,ますます忙しい日常診療のなかに埋もれて,ふと大事なことが忘れられていくのではないかと思うからである.
そうならないためにも,彼ら彼女らの一生につきあっていく地域の医療者として,この社会の片隅にひっそりと謙虚に生きている彼らの佇まいに寄り添うためのよすがに本巻をしたい.そして,この多忙を増すばかりの日々の臨床が,そのような彼らと私たちの本来の姿に戻ることを,むしろ,願う.
2016年6月
高木俊介
最近の「気分障害群」と向き合う精神科臨床の現段階
今の日本で,うつ病は最もありふれた疾患の一つとなった.全国の精神科診療所を対象とした調査では人口規模の大小にかかわらず,外来患者様のおよそ6割が気分障害,3割が不安障害である.
しかし,ありふれているわりには診断,治療,サポート,いずれをとってもいまだよくわからぬ点が多い.診断学ではDSM-5において「気分障害」という用語がなくなる新たな見解が出されているが,DSM-IV作成委員長の著作『〈正常〉を救え』は十分すぎるほど衝撃的である.さらに,気分障害と不安障害の合併もしくは複合的病態の頻度が高く,うつ病診断では双極性障害の存在が見逃されやすいという指摘など,病態は多様化,複雑化し,従来の反応性,内因性の区別もそうそう容易ではない.
さらに,薬物療法ではどうか.近年登場した抗うつ薬の長期投与効果に明確な差異が認められないことや,統合失調症適用として認可された薬剤が気分障害にも適用を拡大するなど,薬剤選択の基準は次第に不透明感を増している.遺伝子解析からは双極性障害,統合失調症,発達障害等々に共通因子の存在が報告され,はたして診断学,精神薬理の話題と関連があるのかどうか.
このような話題を背景として,主として精神科診療所において最近の「気分障害群」の臨床に取り組む専門家に以下のテーマで原稿をお願いした.まずは総論として診断学の現状と今後の課題,相次いで登場した薬剤の使用ガイドライン.続いて診療の実際では病態からみた気分変調症,躁病,双極性障害,難治性うつ病や,合併症としてみた発達障害,不定愁訴,強迫性障害,認知症,悪性腫瘍,不安障害への対処.治療実践例は,認知行動療法,対人関係療法,家族療法,漢方,運動療法,音楽療法,代替療法など.さらに,自殺予防,過量服薬,産業メンタルヘルス,医療人類学の各方面から最近のトピックスを取り上げた.
お願いした結果として,実に読み応えのある秀逸な論文を数多くいただいた.これで気分障害に対する精神科診療所治療の現段階を知る貴重な1冊が仕上がった.本書が混沌とした状況下にある臨床家のこころを落ち着かせ,また盛り上げてくれる一助となるのではと願うばかりである.編者として,ご協力いただいた先生方にこころより御礼申し上げる.
2016年6月
神山昭男