はじめに
私は医学部卒業後、30年間のキャリアのほとんどを臨床医として過ごしてきた。臨床が大好きなのだ。医学部教官や医師国家試験作成委員を経験し、医学部では臨床から学ぶ実践的な教育が不足していると強く感じた。医学部3 〜5年生を対象に週に一度、診断推論を教えていたことがある。教材は私が経験した教育症例である。1年もすると、みんなメキメキと診断推論の実力がついてきた。そんな医学生たちを見て、「従来の勉強のやり方は間違っている。がむしゃらに頑張るのではなく、効果的で質の高いトレーニングを積むことが必要」と痛感した。
この本は実際の診療を意識している。医師国家試験に受かった翌日から、すぐに役立つ知識や技術を厳選した。執筆しながら、私は医学部に通う娘のことを思い続けていた。できるだけわかりやすく、診断推論の楽しさを伝えたい。また、父親として一人の臨床医として、娘にどうしても伝えなければならないことがあった。良医となるには、医学知識だけでなく医師としての心構えも体得する必要がある。
独りよがりにならないよう、多くの先人や優れた指導医たちがどうやって診療しているのかも、できるだけ紹介した。「アイデアとは既存の要素の新しい組み合わせ以外の何ものでもない」はジェームス・W・ヤングの言葉である。上級医のいろいろな診療スタイルや勉強法に接して、自分に合った方法をみつけていってほしい。
徳とくは孤こならず必ず隣となりあり
論語私はこれを「人格者は孤独ではなく、これを助ける人が必ず現れる」と理解している。孔子は他人への思いやり「仁」を大切にした。いつも真摯に振る舞い、徳を積みながら努力を続ければ、多くの人から応援してもらえる。小さなことでも一生懸命行うと認められるようになる。能力が優れたものは、不遇の境遇にいてもいつか必ず実力を発揮する。「仁」を重んじる診療が大切である。医者は他人に幸せを与える職業だ。自分自身が幸せで心にゆとりがないと、他人の幸せを考えることは難しい。家族や恋人、友人を大切にしよう。頑張りすぎてはいけない。
臨床において誤診をしないようにしようという防御的な考えが、不必要な血液検査やCT検査を増やしている。診断の醍醐味は、勉強していれば「あっ これか」と気づく楽しさである。一発診断ができる可能性は10 %くらいだが、「この症状とこの身体所見があるなら、診断は〇〇だよね」と一発診断ができると指導医や同僚からも尊敬され嬉しくなる。一発診断ができなくても、重要なキーワードに気がつけば、鑑別診断は限られてくる。どの検査が必要なのか一目瞭然である。勉強のコツを学び努力さえすれば、誰でもホームランが打てるのである。
みんなが不安になる現代社会において、「今日もホームラン かっとばそうぜ」と向こう見ずに元気な軽躁状態の人がいるのも楽しい。失敗してもいい。転んだら立ち上がって、また走り出せばよい。周りの友人を気にしてはならない。自分らしいユニークさを追求し、まっすぐ前だけを見て走り続けることが大切だ。ポジティブに考え、つまらない仕事も輝かせよう。
最後に、ユニークで衝撃的な本にしたいという私のわがままに協力していただいた、編集部の間馬彬大さん、溝井レナさん、模擬患者や診療実演の撮影に協力いただいた羊土社の皆様に心からお礼を申し上げたい。
2016年3月
八ヶ岳を眺めながら
山中 克郎