はじめに
皆さんは【炎症】という言葉からどのような現象を思い浮かべられるでしょうか?手に傷を負い,出血が止まった後,周辺が腫れ上がり,ときには熱感,疼痛を感じながら1週間ぐらいで治癒して行く過程(創傷治癒)や,虫さされや創傷部位の感染後,局所における同様な変化を日常的に経験されているだろうし,また風邪をひいたときに経験する喉やリンパ節の腫れなどを思い浮かべられるかもしれません.このような炎症は,体にとって最も基本的な生体防御反応であり,さまざまな外敵から体を守るために必要な生命現象です.一方,このようなわかりやすい外的な要因以外にも,筋肉痛が起きるような過度な運動や持続的過食による肥満など,内的な要因によっても炎症が起きます.
最近では炎症の原因は実に多岐にわたり,また炎症がさまざまな疾患の基盤をなしていることがわかってきています.炎症を起こす内的・外的ストレス侵襲(物理・化学的,病原微生物などによる生体侵襲をストレス侵襲という)が組織に起きると,血管内を循環する好中球やマクロファージなどの白血球が組織の異常を感知し,炎症の場(侵襲物が存在する所)に浸潤(白血球が血管の中から組織に移行すること)し,侵襲物を異物として認識,貪食処理することから炎症がはじまります.炎症の場では,活性化した白血球が産生,分泌するさまざまな炎症介在因子は,局所の炎症反応を加速するのみならず全身的にも作用し,発熱を引き起こし,肝臓における急性期相タンパク質の産生を誘導し,ホルモン・神経系・代謝などへさまざまな影響を及ぼします.すなわち,炎症はストレス侵襲が起きた局所のみで完結する現象ではなく,全身の細胞や組織・臓器が密接に連携して侵襲物に対処しようとする仕組みと言えます.従来の免疫学においては,狭い意味では抗原特異的生体反応である獲得免疫のみを免疫とよんでいましたが,最近では抗原非特異的炎症反応を自然免疫とよぶようになってきました.近年,炎症(自然免疫)と免疫反応を時間的・空間的にも,概念的にも一体のものとして捉えるようになってきており,それらの分子・細胞基盤も明らかになってきています.炎症という言葉と免疫という言葉は,もはや同義語,いや炎症は免疫をも包括すると言ってもよいでしょう.
炎症は,従来はいたって単純な,限られた細胞による生体反応として漠然と捉えられてきましたが,近年の生命科学研究の進歩とともに炎症に関与する細胞,介在因子,細胞内情報伝達機序,遺伝子発現制御,細胞移動機序,細胞間相互作用などの非常に複雑な仕組みが解明され,さらに生体工学技術や細胞動態の可視化などを通して炎症の疾患発症・病態との関連がより実態あるものとして,生き生きと捉えることができるようになりました.
これらのなかで,とりわけ近年の炎症研究分野において大きな,特筆すべき進展として次に述べるようなことがあります.
1)炎症反応時の特異的白血球浸潤機序がケモカインと細胞接着因子の発見とそれらの 機能解析により解明されました.
2)抗原提示細胞の主役が樹状細胞であり,ケモカインによるダイナミックな制御が明 らかになり,炎症(自然免疫)反応と獲得免疫反応の時間的・空間的連結という新 たな概念が確立しました.
3)エンドトキシンLPSの受容体がTLR4であることが判明したことを契機に多数の病 原体由来成分を認識するPRRsが同定され,これらの受容体がかかわる細胞内シグ ナル伝達機構が解明されました.PRRsを刺激する物質中には,必ずしも病原体由 来因子に限らず体の中に存在する種々の内因性物質も含まれることがわかり,死細 胞から放出される核酸,タンパク質(これらをまとめてアラーミンと称します)も さまざまな炎症反応・疾患に深く関与することが明らかになって来ました.
4)PRRのうち細胞内受容体NLRsの情報伝達機構としてのインフラマソームの存在が 明らかになり,遺伝的変異によるインフラマソーム関連分子の恒常的活性化が今ま で原因不明であったさまざまな周期的不明熱を発する疾患の原因であり,IL-1β阻 害剤がこれらの疾患に著効を呈することがわかりました.これらの病気をまとめて 自己炎症症候群とよぶようになり新しい疾患概念が生まれました.また,アラーミ ンなどによる非感染性(必ずしも病原微生物の感染を伴わない)の炎症という意味 で無菌的炎症という,概念・名称も誕生しました.
5)皮膚・気道上皮の壊死細胞は,dangersignalとして機能するDAMPsのみならず, 強力な生理活性作用を有するサイトカインも放出します.これらのサイトカイン は,獲得免疫細胞であるT/B細胞の関与なくしてもTh2サイトカインを誘導し好 酸球性炎症を惹起することがあり,その主役となる細胞として新たに自然リンパ球 の存在が明らかになりました.
6)特定の腸内細菌叢およびそれらの代謝産物が,腸管局所のみならず全身の炎症・免 疫細胞,組織細胞に作用し,アレルギー疾患,自己免疫疾患,がんの発生・治療に まで大きな影響を与えることがわかってきました.さらに,全身の栄養状態・代謝 状態に加え,さまざまな炎症・免疫細胞の細胞内代謝がこれらの細胞の機能調節に 重要なかかわりを有することも判明してきています.
7)炎症・免疫反応制御分子であるサイトカインなどを標的とした生物製剤(とりわけ 抗体)が慢性炎症疾患,がん治療などにおいて劇的な効果を示し,従来の治療法・ 疾患概念を根本的に変革する,というEpoch makingな炎症学における変革の時代 が訪れました.
本書籍では,これらの炎症研究の動向を背景に医学・薬学・その他の医療分野・生物 系の学部学生や医学・生命科学研究をはじめて間もない修士・博士課程の学生,若い研 究者を主な対象として,炎症の基本中の基本である炎症機序から最近の炎症研究分野に 由来する疾患治療薬の話題まで包括的に,できるだけ易しく紹介しています.
2019年4月
著者を代表して
松島 綱治