編集にあたって
このたび全日本病院出版会から「よくわかる野球肘肘の内側部障害」を刊行する運びとなりました.2013年4月発行の「よくわかる野球肘離断性骨軟骨炎」に続き,今回も医療の専門家だけでなく,野球の指導者や保護者の方々にも読んで頂けるように,「詳しく,しかも分かり易い」をモットーに編集しました.「分かり易い」といっても,昨今流行のハウツー本やマニュアル本とは一線を画し,スポーツ医学の理念に基づき,基礎から臨床の最前線まで学ぶことができる構成としました.肘の解剖に始まり,骨化進行に伴う肘関節の変化や外傷・障害の様相について,さらには内側上顆障害と内側側副靱帯損傷の二大傷害を中心に病態や治療,身体機能の改善と現場への復帰法までを盛り込みました.
内側上顆障害については国内外の代表的な論文をレビューし,概念や実態,治療法の変遷について紹介しました.これは徳島大学の松浦哲也先生をはじめとして5人の先生が長期間をかけて整理要約し,考察を交えて記述した大作です.初学者や指導者が研究や指導に大いに活用して頂けることと期待しています.病態については外傷か障害かと学会でも意見が分かれてコンセンサスが得られていません.これについては無理に統一せず,両者の考え方を紹介してあります.したがって用語の使い方や表現が項によって異なり,戸惑うこともあるかと思います.病態についての認識が違えば,当然のことながら治療法や適応も異なります.これもそのまま掲載しましたので,参考にしてください.かつて教授や先輩医師から教わった「耳学問」のように,読んで判断して頂きたいと思います.
内側側副靱帯損傷の診断・治療については,1974年にFrank Jobe先生が始めてトミー・ジョンの左肘にメスを入れた頃とは大きく異なっています.手術手技やリハビリテーションの方法が進歩しただけでなく,診断の方法や精度も大きく変わりました.かつては肘の治療のためにプロ野球選手がアメリカに渡っていましたが,今では日本の診断や治療のレベルはアメリカに勝るとも劣らぬ域に達しています.再建手術の我が国のパイオニアである伊藤恵康先生をはじめ,多くのプロ野球選手の治療に携わってきた横浜南共済病院の山崎哲也先生,行岡病院の正富隆先生の東西の名医にも自身の病態論,治療方法,手術方法について解説頂きました.ここ10年でアメリカでは手術症例数が急激に増え,対象もプロ野球選手だけでなく高校生や中学生にまで拡大され,再建手術の功罪が議論されるようになっています.画像検査機器の目まぐるしい進歩,とりわけ超音波診断装置やMRIの精度が飛躍的に上がり,これまでに捉えることのできなかった病態を画像で捉えられるようになり,これまでの常識が変わりつつあります.まさに現在は診断や治療方法が大きく変わる変革期ではないかと思われます.本書ではその最先端の情報を随所に紹介してあります.
肘内側の痛みの原因として尺骨神経,とりわけ胸郭出口症候群を合併している事例が近年増えています.どうもスマートフォンやゲームなどのタブレット端末の過剰使用が背景にあるようです.姿勢異常から後頚部や肩甲胸郭の機能低下を起こし,さらに投球動作の負担が加わることで発症しているようです.胸郭出口症候群について,疾患概念の歴史的推移,病態,診断そして治療について愛知医科大学の岩堀裕介先生に詳述して頂きました.また内側部痛の治療には肩甲胸郭機能の評価や治療が重要で,これについても医療と野球現場の両方の立場からエキスパートの先生に解説して頂きました.
この本は表表紙から裏表紙に至るまで,「野球選手の肘を診るのではなく,肘に傷害を持つ野球選手を診る」という精神に基づいて編集されています.読者の皆様が,本書から患者への接し方,治療の進め方,臨床研究への取り組み方,さらには医療哲学(philosophy ofsports medicine)ともいえる「医師の姿勢」を学んで頂ければと願っております.
平成28年早春
編集者・著者を代表して
柏口 新二