はじめに
超高齢化社会に伴い,認知症を患う人の数が2025年には700万人を超えるという見込みが厚生労働省から推計値で発表されている.2012年時点の462万人から約1.5倍に増加することになり,65歳以上の高齢者のうち5人に1人が認知症に罹患する計算となる.さらに正常から認知症への移行状態といえる軽度認知障害も2012年時点で約400万人と推計されている.軽度認知障害の人は何もせずに放置するとほとんどが3年以内に認知症になることがわかっており,認知症に対する理解を深め,早期発見して早期治療・ケアに結びつけることがとても重要である.
一方,24時間社会の今,人々の生活スタイルは夜型化し睡眠時間は確実に減少している.このような生活環境は,体内時計を狂わせ,正常な睡眠がとれない人々の増加を生み出し5人に1人が睡眠障害で悩んでいる.短い睡眠時間でも日常生活に問題なければよいが,実際には睡眠不足によりもたらされる影響は,肥満,高血圧,糖尿病,脳血管疾患,心臓病,精神疾患,認知機能低下など多岐にわたり,看過できるものではない.
認知症予防には,発病を防ぐ第1次,早期発見・早期治療の第2次,進行を抑える第3次予防がある.認知症の第1次予防は,軽度認知障害が対象である.
アルツハイマー型認知症(Alzheimer's disease;AD)では,高血圧や糖尿病などの生活習慣病がリスクを高める半面,バランスのとれた食事や適度な運動,知的活動などに予防効果があることがわかっている.さらに最近の研究から睡眠不足や睡眠障害も認知症のリスクを高めることが報告されている.
一方,睡眠は「疲れたから眠る」といった,消極的・受動的な生理機能ではなく,もっと積極的・能動的であり,「明日によりよく活動するため」に脳神経回路の再構築(記憶向上),メンテナンス(脳内老廃物の除去)を果たしている.
2013年に「睡眠によって脳の老廃物が洗い流されるスピードが格段に速くなる」ことが発見され,アルツハイマー病などの多くの脳疾患と睡眠との関連が注目されるようになってきた.身体の老廃物は主にリンパ管ネットワークによって血流中に排出されるが,脳にはこのリンパ組織が存在せず,代わりに,脳脊髄液が老廃物を吸収し,血液中に排出している.これらの脳内老廃物には,アルツハイマー病発症につながるとされているアミロイドβも含まれる.脳内老廃物は,脳脊髄液が脳組織を循環することで排出されるが,睡眠中は脳細胞間隙が約60%拡大し,脳脊髄液がより速く,より自由に脳内を流れるため,老廃物の排出スピードが増加する.
最近行われた臨床試験によると,睡眠時間の減少や睡眠の質の劣化は,アミロイドβの蓄積量に影響することもわかってきた.睡眠不足が直接アルツハイマーの要因になるかはまだ明らかではないものの,睡眠による脳の浄化作用は脳の機能や体の健康を大きく左右するものであり,認知症や脳疾患の予防には脳の役割を知り,適切な睡眠を確保することが重要であるといえる.
今回,睡眠の観点から認知症予防と診療に重点を置いて,このハンドブックを刊行することにした.認知症に関係している医療関係者のみならず,地域で認知症対策に携わっておられる方々の一助になれば幸いである.
2016年8月
宮崎総一郎
浦上 克哉