はじめに
新たな子どもの誕生、それは家族にとってこのうえもない喜びである。胎内で生まれた一つの小さな細胞は、わずか10カ月で複雑で精緻な脳神経、内臓、手足、皮膚などに分化し、人間としての身体を形成していく。一般的には知られていないが、少なからぬ子どもたちが様々なハンディキャップを抱えて生まれている。先天異常だけでもその数は全体の約5%になる。決してまれではない。そのなかには先天性奇形も少なくない。奇形というと特別なものに感じるが、その発生は自然的な現象である。
胎内期の各臓器の発育が完了せずに生まれると形成不全、奇形になる。たとえば心臓の胎内発育に支障が生じると、複雑な心奇形から心室中隔欠損症など様々な異常が生じる。顔面の形成が遅れると口唇口蓋裂が残る。奇形・先天異常の多くは発育が部分的に遅れたりずれたりして生じたもので、胎内では誰もが同じような発育過程をたどっている。たまたま形成にずれが生じたとしても、成熟児と連続する個性とみることができる。
人類のDNA分析は終わったものの、遺伝情報としての解析が完了したわけではない。その遺伝子数としては2~3万前後とされる。従来から、それぞれの遺伝子が1回の分娩に際し突然変異を起こす確率は10万分の1~100万分の1といわれてきた。誰にも、どこの家庭にも遺伝病は生じ得る。
胎内発育が順調に経過したときでも新たなリスクが待っている。新生児は出生と同時に呼吸を始め、母体に頼っていた酸素の取り込みも自らの呼吸でまかなうようになる。それに伴い、血液循環を切り替える必要がある。それらの切り替え経過によっては、重篤な障害に至ることもある。むしろ多くの子どもたちが無事に生まれて育っていくのが神秘的ともいえる。また生まれて間もない幼子は脆弱であり、重篤な疾病にかかりやすい。昔から子どもが無事に育つことを祝う習慣が、七五三として根づいているほどである。一部の子がリスクを持つ可能性はゼロにはならない。多くの子が健常に育つ一方で、誰かが障害を持つ。誰かがリスクを引き受けてくれたから、ほかの子が健常に過ごせるともいえる。九州のある地方では障害を持った子を宝たから子ご と呼ぶ。ほかの人の苦難を引き受けてくれた子だから。このように考えれば、すべての子どもは平等で尊い命を持ち、同じ家族として愛しみ育むべき同胞といえる。
新生児を守るためにNICU(Neonatal Intensive Care Unit:新生児〔特定〕集中治療室)がある。それでも困難な状態が起こり得る。そのような場合、新生児がNICUに長期滞在(入院)することが生じる。結果的に"継続的に医療を要する重度障害児"が生まれ、その支援が必要となる。NICU以外の小児医療機関からも同様の課題が常に聞かれる。発育・発達に支援を要する子もいるし、医療的サポートが必要な人生が始まった子どもたちもいる。彼らの尊厳を守り、一人ひとりの発育・発達を支援することが大切になる。
本来、医療的ケアのニードが高い子どもたちは医療型障害児入所施設(旧・重症心身障害児施設など)がその支援機関とならなければいけないが、その受け入れ能力はすでに限界に近く、毎年毎月のように生じる新たなニードに応えきれていない。一方で児童発達支援事業(旧・重症児通園事業など)が普及し、特別支援教育が充実してきている。さらに訪問看護、在宅医療機関が加わり、それらの児童を在宅でケアし支援することが定着してきた。
そこで問題となるのは、障害に対応した適正な育児(=療育)の確実な実行である。発育・発達の観点が抜けては、子どもたちの尊厳は守れず支援にならない。支援には、発達の状態と障害の原因から将来を見通し、その都度の育成ゴールの設定が前提となる。それには理学療法士、作業療法士、言語聴覚士、心理士、保育士などの専門職の参加が不可欠である。児童の立場から望まれるニードが周知され、すべての小さな命が尊重されることに、本書が少しでもお役に立てればと願っている。
2019年3月
鈴木 康之