20年以上前,横須賀海軍基地の米軍病院でインターンをしていたある日,5日前に額の創を縫合された白人の男の子が傷口をむき出しにしたままニッコリしてお母さんとERに再診に来たことがありました.当時の本邦では消毒のうえ,創をガーゼで被覆するのが普通だったため,たくましさとともに違和感を感じたのをよく覚えています.
同じく研修医時代,自分が救急外来で前腕の創の縫合処置を行った患者さんの件で後日外科外来から電話で呼び出しを受けました.急いで駆けつけたところ,創から取り出した10cm×5mm位のガラス片を持ちながら私を睨みつける外科スタッフの視線に体が凍りついた経験は忘れられません.
創の処置に関しては皆さんもさまざまな思い出があるかと思います.不思議なことに,うまく治癒したケースは忘れても,トラブルに至ったケースは何年経っても記憶から消えないものです.
創処置はERで最もありふれた手技である一方,これほどさまざまな流儀・習慣がまかり通っている医療行為はないと思います.多くの医師は,研修施設での経験や慣習に基づいて最も一般的だと「信ずる方法」を実践しているというのが事実のようです.創処置は古くから存在する技術にもかかわらず,近年では特別な場合を除き,生命予後に関わることが少ないためか,大規模な臨床研究も少なく,エビデンスの蓄積もそれほど多くないという事実とも関係があるのかもしれません.
歴史的にみると創処置は感染との闘いだったと言えます.19世紀半ばまでは,小さな創がもとで重大な感染症を併発したり,破傷風で亡くなる人々も少なくなく,開放骨折などはまさに命とりで,機能的・整容的問題よりいかに命を救うかという点が医師の最大の関心事でした.西洋では銃火器が出現した16世紀以降は戦争のたびに複雑外傷を取り扱う必要性が増し,それを担う医師(床屋外科医)たちの経験が豊富に蓄積されました.しかし,創処置が科学的理論のもとに進展したのは19世紀後半のパスツールおよびコッホの研究,およびその臨床応用ともいえるリスターの防腐法に始まる無菌法が考案された以降のことです.それまで経験的に行われてきた創処置に対して学問的立場から見直しが行われ,さらに抗生物質の発見,さらに戦場での実践経験を通じて創処置は近代医療の技術として確立してきました.
現在,通常の創が生命予後に影響することは少なくなりましたが,動脈硬化,糖尿病や慢性疾患を有するハイリスク高齢者は増え,昔とは違った視点が必要となりました.例えば,創はただ治ればよいというだけでなく,整容面・機能面への配慮,医療コスト,あるいは職場復帰に関わる治療期間などの時間的・経済的コストも重視されるようになっています.昔ならば創の治療は痛いのが当たり前,「赤チン」「ヨーチン」を塗られて痛い思いをしながら怪我の怖さを学べと教えられたものですが,今では小児だけではなく,年長者においても除痛は当然の医学的要求とされます.また,異物の残存や腱断裂の見逃しなど機能予後に影響を及ぼす事態にでもなれば病院―患者間トラブルや医療訴訟の対象になることもあり,初療医であるER医師の責任は相変わらず重大です.
「私は処置し,神が治癒し給うた」.16世紀のフランスで一介の床屋外科医から最後に宮廷外科医となって近代外科の父とまで称されたアンブロワーズ・パレの有名な言葉ですが,創傷治癒の理論が確立している現代においても名言です.現在ではさまざまな被覆材や縫合糸などが出回っているため,若い先生方の中には創傷処置は複雑に感じる人がいるかもしれません.しかし創の取扱いは文化や習慣によるところが今でも強く,新しい技術や資材が導入されても,医学の長い歴史の中で蓄積された原理・原則を参考にして,いかに創治癒の仕組みを理解してそれを妨げることなく治癒を促すか,という視点が重要であることを理解していただきたいと思います.
今回,シービーアールの三輪社長より『ERマガジン』の特集記事が,多くの先生方から好評を得ているとのうれしい連絡とともに保存版出版のお話をいただきました.これを機会に内容を加筆・追加し,よりわかりやすい形で再出版させていただくことになりました.
この本はすべての創処置を網羅するものではありませんが,創処置を行う機会が多い若いドクターはもちろんのこと,指導的な立場にある方にとっても有用であると思われますので幅広くご活用いただければと存じます.
本書の企画に際しては『ERマガジン』特集作成の段階より三輪敏社長,保存版出版にあたっては編集部長沢慎吾様から適切なアドバイスをいただきました.皆様に心より御礼申し上げます.
2012年 8月吉日
茅ヶ崎徳洲会総合病院 救急総合診療部
北原 浩