特集にあたって
うつ病診療を巡り精神医療が大きく揺れ動いている。平成10年から14年間にわたって続いた年間3万人以上の自殺と,その背景にあるうつ病対策の中心的な役割を担うこととなった精神科医と精神医療に対する信頼は崩れつつある。その原因は薬物療法偏重,多剤大量投与,科学的なエビデンスによるガイドラインを遵守しない一部の不心得な医師の問題なのであろうか。心のケアという言葉が安易に用いられ,マニュアル的な治療が推奨されるが,果たして心の健康とは何かという問題を熟慮する必要があるのではないだろうか。1970年代,力動的精神医学が没落しつつあるアメリカで行われた研究では,精神科医に求められるのは「曖昧さに耐える能力」であり,カウンセリングの効果も,未熟な分析医よりも,人生経験を積んだ人間味あふれる素人のほうが高いことが示されている。
精神科病院における入院治療の闇を告発した往年の『ルポ精神科病棟』(1970年)の現代版というべき本である読売新聞の記者佐藤光展氏の『精神医療ダークサイド』(講談社現代新書,2013年)の指摘は,臨床の現場をよく知るものにとっては,身近に起こっている問題であり,一部のマスメディアの偏向的な出版物と対抗意識を燃やすべきものではない。偶然にも今日のうつ病問題を提起した笠原嘉先生の名著『軽症うつ病』(1996年)も同じ出版社のシリーズであり,佐藤氏は同紙の賞も獲得した医療問題のシリーズ「医療ルネサンス」を担当した優れた記者でもある。
むしろ精神科医はそこで指摘されている数々の問題を真摯にみつめ,どうすべきかを考える必要がある。実は今日のうつ病治療を中心とした精神医療の問題の本質はもっと根深い。精神医療の静かな第四の革命ともいえる新規向精神薬の登場と操作的診断基準の普及により,かつては医学的な治療や薬物療法の対象とならなかったごく普通の人々が,終わりの見えないまま服薬を続ける時代となった。疾患概念が拡大され,臨床試験のエビデンスが最大のマーケティングの武器として利用されることとなったことにより,医療の本質が歪められ,治療のアートが失われつつある。すなわちdisease mongering(病気を売り込むこと,病気作り)とエビデンスに歪められた医療の登場である。
精神医学そのものの変質が今日の問題の根本原因であり,決して不勉強,不心得な一部の医師の問題ではない。卒後の研鑽を怠らずガイドラインに従った医療を行う善意の医師が,患者に対して心理療法とともに種々の向精神薬の投与を行うことにより,結果的に患者の人生を大きく変えてしまうこともある。長年まじめに通院服薬しているにもかかわらず,家事も育児もできないまま寝たり起きたりを続ける主婦,休職・復職を繰り返した結果失業して長期に自宅療養を続ける元会社員,思春期より様々な向精神薬を服用し,社会に出られないまま本来の自分を見失っている若者などをみると,『抗うつ薬の功罪』の著者ヒーリーがこうした状況を治療によるabuse,すなわち濫用,虐待と呼ぶのも理解できる。薬価の高い新規向精神薬の登場により,本来はそれがプラセボではないことを証明しただけであるはずの臨床試験の結果が金科玉条の科学的根拠,エビデンスとされ,科学の衣をまとったマーケティングに利用されてしまう。ギリシャ神話の触るものが何でも金に変わってしまうミダス王の悲劇のように,臨床試験の結果が大きな利潤を生む金の卵とされたことに問題の出発点がある。
こうした危機的な状況を10年以上前から指摘し続けているが,予想通りというよりも予想を超えた事態になってきている。うつ病問題から始まる精神医学と精神医療に対するユーザーからの信頼喪失は,決してわが国だけの問題ではなく,世界中で起こっている問題でもある。最近フランスの国際的なテレビ番組制作会社ZEDにより作られたうつ病に関するドキュメンタリー番組の英語版が送られてきた。ドイツやギリシャなどとともに日本にも取材クルーが訪れ取材を受けた。1時間近い番組のタイトルは「Des Hommes tristes,SAD People Factory」すなわち悲しい人々,悲しい人の製造工場とでもいうべきものである。そこにはDSM-IVの作成委員長であったアレン・フランセス氏も登場し,操作的な診断の問題を厳しく指摘している。DSM-5を激しく攻撃する彼の主張は最近の翻訳『〈正常〉を救え』(講談社,2013年)でわが国でも知られる。近年の双極性障害の急激な増加にも,うつ病の増加と同様な問題が潜んでいる。違法な危険ドラッグとわれわれが治療に用いる向精神薬の違いは便宜的なものであり,いずれも,ときに永続的な変化を残す可能性がある化学物質に過ぎない。薬物療法は人間にとって化学的なストレッサーであることを忘れるべきではない。
今回「うつ病診療の論理と倫理」というテーマで,わが国を代表する精神科医,論客に,関連する多くの問題について論じていただける機会を得たことは大きな喜びである。編集に協力いただき,執筆者の選定や座談会の企画だけでなく,執筆にも加わっていただいた帝京大学の張賢徳先生と,こうした企画を実現した出版者の慧眼に感謝する次第である。
杏林大学名誉教授
田島 治