改訂第二版序文
初版を上梓してから三十五年が過ぎた.初版序文を沖中重雄先生からいただいた時,「時折,手を加えて行くとよい」という主旨のお話があった.また,時が経つにつれ,改訂・増補を求める声が多く寄せられた.しかし日常の職務に忙殺されて,それに取りかかれたのは停年退職後であった.神経症候学の真髄は変わるものでないが,全面的に書き改めねばならず,それから十年の歳月が流れた.初版は二部構成の千二百頁ほどであったが,改訂第二版は紙数が増え,分冊することになった.
初版が出版された昭和46(1971)年頃は神経疾患の治療法も乏しく,我が国では「神経内科医は症候を論じ,診断を喜んでいるが,治療は他の内科医でも同じだ」と郷撤された時代である.しかしこの時期は,神経症候学がヒトの神経系を理解する上で如何に重要か,また病変や疾患を把握するのがどれほど大切かを人々が理解する夜明けでもあったように思われる.やがてそれから十年を出でずして,今日の神経治療の扉が聞かれ始め,諸検査法の開発とも相倹って,否応なしに神経症候学の再認識と進歩をもたらすことになった.即ち,本書の初版と改訂第二版との聞はまさに我が国の臨床神経学におげる諸々の事象が展開した時期に当たる.初版は(後述するような背景から)筆者が日本で学び,フランスで修得した神経症候学を己れなりに整理したものであったが,この改訂第二版では,日仏に限らず欧,米,亜の諸国のそれにも広げて偏向に陥らないように心がけた.それと共に己れの体験(症例)を盛り込むようにとの人々の助言から,極力それに沿うようにした.
「症候」とは「症状と徴候」の短縮語である.症状symptom,symptoma は患者が自覚する異常であり,他者にはとらえられない.これは医者が患者から問診で聴き出し,発病から初診までが現病歴としてまとめられる.徴候sign,semeion は医者(時に周囲の者)が客観的にとらえた異常所見である. これにより現症status presensが把握される.症候を実践的,学理的にまとめて整理したのが症候学である.症候学は欧米では,あるいはsymptomatology,あるいはsemeiologyと言われるが,日本語は症候と徴候の両者をまとめて簡潔である.
神経症候学,臨床神経学を修得するには実践の場(臨床 bedside)で多く体験することが肝要である.特に若い時期に広い領域の各種疾患を経験しておくことは神経学に対する広い視野を持つためにも不可欠である.それと共に先達による適宜,的確な指導が必須である.この先達から後輩への技術と知識の伝授と伝受が基軸となり,その間に付け加えられるものもあり,ここに伝統が生まれる.一方,書物は知識を確実なものとし,現象を正しく理解する上で,また体験するための準備として,重要な役割を持っている.推敵された書は症候学の学問体系の一部を担うものである.しかしそれが体験に取って代わるものでないことも十分に留意すべきである.症候学はまさに実践(技能)と学問(知識)の両輪である.
神経症候学の第一歩は問診にあり,神経学の基本を成す.しかし本書には問診をまとめた章はない.問診は各章と密接に関係し,患者一人ひとりで異なり,一定の形式では有用な情報を得難い.問診は同時に次の神経学的診察法(診察手技)を選択する上で大きな手がかりを与え,症候学の中で最も習熟を要する.熟練した神経内科医ほど問診に時間を要するのは,症候学,神経学の麗蓄の豊富さを物語っている.この充実した問診は患者にとって充足感のある医療の出発点ともなる.
神経症候学において問診と並ぶ重要なものは診察手技である.これは各章に分散して述べてある.同種の徴候でも病態の軽重で診察手技は異なる.同類の徴候でも素人目にわかるものと,心して診ないと見逃すものとでは手技・手法は違う.類似の徴候でも病態が投射系にあるか,連合系によるかで診察手法は全く異なる.即ち,画一的な診かたではあるべき徴候を見落とす.それを正しくとらえるには数多い診かたの中から適切なものを臨機応変に選ぶ必要がある.そのヒントは問診の中にある.外来のような限られた時間の診察では特にこの一連の過程は重要である.筆者の経験からみても,初心者が外来診療で戸惑う理由の一つはここにある.
疾患の臨床像(症候)を病期別に把握することも神経症候学の重要な一面である.多くの教科書や成書には病像完成までの症候が列挙されているが,それらが不揃いの病初期,病早期の患者を診ることが多いのが現実である.その中には直ちに治療開始を要し,病像が進行してからでは治療の時機を逸するものがある.また同じ病気でも患者一人ひとりの症候はコピーしたように同じではない.即ちその疾患の症候について大綱を知る一方,その変差variationを知るのも症候学のうちである.
神経症候学と並んで留意すべきことは患者の全身状態の把握である.神経疾患に伴う他の臓器異常や,逆に他の臓器疾患による神経障害があるからである.神経系は全身の一部であり,皮膚,血管,骨,胸腹部臓器などを広く念頭に置き,その異常を把握することも神経症候学の一部と認識すべきである.
神経症候学ひいては臨床神経学を理解する上で重要なのは,その症候や疾患の発見の経緯をよく知ることである.偶然の発見であるようにみえても,その背景には,それに対する予備知識や問題意識が蓄積されているものである.そのような背景や経緯はその症候や疾患の本質を知る上で極めて貴重な示唆を与える.それは単なる歴史的回顧ではない.また初期の臨床記述は精撤である.後の記述になるほど簡潔になり,時には粗略になる.かくして時代の変遷と共に誤解が生じ,同名でありながら当初のものとは異なったものに変貌することすらある.時に同名異質な症候や疾患が生まれるのはこのような経緯によるが,これは後世の人々の責任である.本書で折に触れ「小史」を挿入しているのはその歴史的背景を簡記したものである.また原著に近い臨床症候の記述を参考にしたのも,この誤解に基づく変質を避けるためである.本書の文献欄では,検索情報網が発達した近年のものは紙面の都合からかなり割愛したが,検索しにくいそれ以前の文献を比較的多く収載したのもそのためである.
振り返ってみると,初版の「あとがき」でも述べたように,筆者は東京大学医学部第三内科で,沖中重雄教授のご指導のもと内科一般の研賓と共に,神経研究室の諸先輩から親しく臨床神経学を教えていただいた.そうした中で己れなりにいくつもの疑問が脳裏に蓄積されていった.沖中内科での学位研究をまとめて間もなくパリ大学医学部のRaymond GARCIN(ギャルサン)教授(Salpetriere病院, Clinique Neurologique)のもとに留学することになった.当時,世界で指折りの一人と言われた先生の日々の病棟回診,外来診察で,実践的かつ学理的神経症候学に接する中で,筆者の脳裏に蓄積されていた疑問が一つひとつ解けていった.筆者が神経症候学に関心を持つようになった背景はこの辺にもあったように思われる.更に,日本ではとかく症候を陽性(黒)か陰性(白)かのいずれかに判定しようとするが,灰色という判定の重要性を認識した.自然が創造した神経系が示す現象が常に黒か白を示すとは限らないからである.しかし灰色の判定をするには真の黒と白とを熟知していなくてはできないものである.また,眼前の症例(症候)を検討するに当たって,我々はとかく初めから一つに絞り込もうとするが,深く検討した後に一つに収斂するにせよ,初めは検討対象を大きく広げ,それらを鑑別する過程の重要性を認識した.
今日,神経疾患用に多種の臨床補助検査がある.これらは症候学的に絞り込まれた病態を確かめるため,即ち,診断(病名)の確定,病変の確認,病因の同定などを意図して活用される.明確な目的なく闇雲になされるべきものではない.時に思いがげない病態が検査から見出されることがあるが,振り返ってみるとそれは症候学の不備,不足によることが多い.かつて,19世紀後半から20世紀前半にかけて,大脳に沈黙野silent areaと称して神経症候を出すことのない領野があると理解された時代があった.また脳梁病変では神経症候を呈することはないと信じられたこともある.それらは症候学が発展する途上の過去のことで,今日ではいずれも神経症候学的に把握できる対象となっている.昨今話題の,臨床症候が明らかでないとされる潜在性病変subclinical lesionもいずれ症候学的課題になる可能性がある.
検査法の中でも,近年,特に発展したものの一つに画像検査法(CT,MRI)がある.症候と病変との対応を確認するには,かつては剖検を待たねばならず,時間的ずれもあり,容易ではなかったが,画像検査は症候と病変とを同時点でとらえられ,両者の対比を容易にし症候学の発展に大いに貢献した.しかし,剖検では病変の部位や性質を顕微鏡レベルで確認するのに対し,画像検査では病変を肉眼レベルに近い粗形態的変化としてとらえるものであることを十分に認識する必要がある.また機能的画像検査が示すように機能異常部位が脳損傷部位を示すとは限らない場合もある.更に,神経系では同一部位の損傷でも病変の性質により症候の差異,有無があるのは症候学的によく知られた事実である.その局部の生理的機能が明らかになっても,それ相応の症候が出現するとは限らない.神経機構はそれほど単純明快には事を示してはくれない.画像検査の有用性は言うまでもないが,慎重な判断を迫られる一面があることを脳裏に留めておかなくてはならない.
神経症候学に限ることではないが,大切なものとして用語の問題がある.日本語の用語は外国語の用語の翻訳にならざるを得ない一面があるが,その本質をわきまえて日本語を選択することが肝要である.まず,日本語として不適切であることを避げなくてはならない.外国語であれ日本語であれ,限られた視点から用語を選定すると,他の領域の用語と重複し,競合し,誤解を生じ,内容が正確に伝わらないことがある.また使用する側が十分に理解せずに,独自に勝手に解釈して使用することも避げなくてはならない.言葉は生きものであり変化するものである,と言われるが,それとこれとは異質である.本書での日本語用語は神経学用語集改訂第2版(1993)に概ね準拠した.
また,近年,世界水準の委員会名で疾患分類が提案されることが多い.知恵を絞って作られたものであろうが,その領域のみの限られた視点によるものや,歴史的経緯があまり顧慮されずに改変された用語が時に散見される.あるいはまた,特定の疾患群を番号付げや,それに似た形式で整理することが一部で流行している.番号付げはその領域の研究者には便利であるが,その外の人々には理解され難い.広くわかり易いことは臨床神経学の普及のための要件である.
近代臨床神経学は準備期を経て19世紀中頃に欧州に始まった.半世紀を経てそれが隆盛期を迎えたのに前後して,それは米国にも拡大した.ここでも半世紀をかけて米国なりの神経学が形成されて行った.第二次世界大戦後に,それは大きな流れとなって敗戦後の日本に輸入された.しかしそこに至るまでの伏線として三浦謹之助に代表される明治以来の日本の先駆者達の存在を忘れるわげにはいかない(臨床神経学1960,1: 4-25).かくして日本の臨床神経学は欧州からの細く長い歴史と,米国からの太く短い歴史とで基礎が築かれ,日本(臨床)神経学会が設立された.それから半世紀が過ぎた.欧米諸国がそうであったように,日本でも日本なりの神経学が確立されてよい時代にきている.欧米に多く日本にほとんどみられない疾患や,逆に日本に多く欧米に稀有な病気があるなど,神経疾患には人種,風土,文明,文化により異なる面がある.彼我の共通性は保ちながらも,日本固有の神経病学を保有すべきであると思われる.これは筆者が以前から提唱してきたことである.神経症候学もその視点からとらえる必要があろうし,それは我が国の明日の神経医学・医療とも密接する課題である.
症候学,診断学の医療上の究極の目的は健康体への患者の復帰であるが,その前段での当面の目標は治療にある.神経疾患治療が進歩・発展してきた今日,速やかに適切な医療を行なうためには豊富な症候学,確実な診断学が是非とも必要である.更に治療効果を評価する上でも症候学はその基軸になる.症候の推移を的確に把握することは効果判定に欠かすことのできない要件であるからである.また今日,治療法が確立していない進行性神経疾患で,機能訓練や介護の適応を決める上で必要とされる病像評価,病期把握にも神経症候学が大きな役割を持っている.
さて,「医」とは病を癒すことを意味する.「医」の学問的側面が医学であり,「医」の実践的領域が医療である.かつてはこれらを「医学」という言葉で一括していた時代がある.医学が進歩すれば自ずと医療も発展すると考えた時代である.しかし今日それでは収まらない.医学と医療とは密接な関係を持ちながらも,活動の場も目的も異なるからである.そのような背景の中で,症候学は医学と医療を結ぶ.また,病因と症候を結び,診断と治療を結び,そして患者と医者を結ぶ.すべては症候学を介して結ぼれている.このような視点に立つ時,神経症候学は古くは大学の中で論ぜられたが,現代では巷聞の医療の現場でも広く扱われるべきものとなった観がある.
序文の筆を措くに当たり,これまでに接した数多くの患者の方々から身を以って神経症候学を教示された思いがある.また, この改訂第二版を執筆する準備段階で勉強会を持ち,参加された諸君からいろいろな示唆を得た.その主要メンバーとして,今井壽正,岡本保,鴨下博,河村満,北耕平,小島重幸,長岡正範,南雲清美,福武敏夫の諸君(五十音順)の名を挙げると共に,またこれとは別に在職中あるいは退職後に直接,間接に本書の内容に寄与,支援された諸君もいる.これらの人々に謝意を表したい.
本書の初版からこの改訂第二版を通して,終始,支援を惜しまず,筆者の願いを受け容れてとられた株式会社文光堂浅井宏祐社長に心から謝辞を送るものである.また,編集に真華に取り組まれた佐藤英昭氏,制作に細心の意を払われた室町良平氏の協力なしにはこの改訂版は陽の目を見ることはなかった.改めて謝意を表する.
良き理解者であり,この改訂出版を病床で鶴首の思いで待っていた亡き妻,末利子に本書を捧げる.
平成十八年三月
著者識す