巻頭言
ついに,誤嚥性肺炎をテーマにした,日本語のわかりやすいテキストができました.
病院家庭医として,亜急性期の病院・外来・在宅セッティングで診療を続けてきた中で「誤嚥性肺炎は非常に興味深く,総合診療医として極めがいがある」という感覚を持つようになり,意識的に診療方法について勉強してきました.一方で,救急対応や診断推論に興味がある多くの若手医師にとって,誤嚥性肺炎は独学が難しく,達成感を得にくく,その結果「多くの人が苦手意識を持っていてもったいない」という残念な気持ちもありました.
本書は,私が長い間かけて学び,気づき,積み上げてきた「誤嚥性肺炎の診かた」について,新進気鋭の中堅総合医がエビデンスと経験を交えながら詳しく解説したテキストになっています.
全体の構成は「誤嚥性肺炎のABCDE アプローチ」が基本骨格となっています.総論ではABCDEアプローチや嚥下の5期モデルの他,内科的な診断学と家庭医療学の視点,多職種連携や高齢者医療などの「考え,行動する上でのベースになる基本OS」について詳しく掘り下げた解説がされています.各論では,ABCDEの各項目について,実戦経験や教育実績の豊かな医師が詳しく解説しており,「実際にどうやって評価し,介入していけばいいのか」のイメージが持てるようになっています.人によって,誤嚥性肺炎に対して難しいと感じているところや深めたいと思っている領域は異なると思いますので,ABCDE の順番にとらわれず,興味を惹かれた項目から読んでいただければと思います.
本書の主な対象読者は,内科専門医や総合診療専門医を目指している専攻医が中心になります.病棟診療の中で経験してきた「うまく行かなかった誤嚥性肺炎の症例」を思い出しながら読むと,一気に頭の中が整理され,視界がひらける感じが得られるでしょう.また,医学生や初期研修医も,意識して医療現場を見ていれば「誤嚥性肺炎」を起こしている患者はどの病棟にもいますので,本書を読みながらちょっとずつ理解していくためのガイドブックとして使っていただけるでしょう.また,誤嚥性肺炎に直接関わりそうな看護師やSTだけでなく,PTやOT,ケアマネジャーやソーシャルワーカーが読むことでも,自分の担当する領域の役割が見え,他職種の専門性が理解でき,誤嚥性肺炎診療にチームで取り組むときのイメージが具体化できると思います.
今後は「この本さえあれば,多くの若手医師や多職種が気軽に学べる」ようになり,すべての医師が「誤嚥性肺炎診療の一歩目」を踏み出し,現場で協働しながら経験を詰んで自信をつけていけるようになると期待しています.そして,多くの「誤嚥性肺炎のために辛い人生に転落しつつある高齢者」のQOLを高めていけるようになると期待しています.
2021年1月
札幌医科大学総合診療医学講座 佐藤健太
序文
医師4年目の夏に,私は立ち尽くしていた.当時,総合内科の後期研修医として,自信がついていた頃だった.そんな時に大腿骨頸部骨折を契機に高齢男性が誤嚥性肺炎を発症した.もともとは杖歩行レベルだったが,誤嚥性肺炎をきっかけに嚥下が非常に困難になった.当時,言語聴覚士も院内にいなかったが嚥下は難しそうに感じた.家族にもう嚥下は無理だと告げたところ,家族は激怒された.急にそんなことを言われても納得できないでしょと.しかし,私は誤嚥性肺炎で何をすべきか実は知らなかった.どの抗菌薬を使ったらよいかは知っていても,他に何をすべきか知らなかった.そんな時に,藤島一郎先生の「口から食べる 嚥下障害Q&A」(中央法規出版)を読んだ.そしてはじめて,食事形態やポジショニングの重要性,嚥下リハビリの詳細を知った.本当に,何も知らずに誤嚥性肺炎を診療していたのだ.しかし,勉強してもその後も誤嚥性肺炎をよくできないジレンマがずっとつきまとった.転機は,京都から東京へ移籍したことだった.東京では地域包括ケア病棟で誤嚥性肺炎の患者さんの長期間のリハビリを担当するようになった.長期間診ることで,見えてこなかった伸びしろ,が見えるようになった.さらに,諏訪中央病院に在籍されていた奥 知久先生に誤嚥性肺炎はABCDで考えて包括的に介入したほうがよいと教えてもらった.そして奥先生の方法を自分なりに昇華し,ABCDEアプローチを提唱するようになった.その頃から,非常に困難な誤嚥性肺炎患者さんの転院を引き受け,主治医として長期間の嚥下リハビリに関わる機会が増えた.ABCDEアプローチを実践することで,他院で見放された患者さんが,経口摂取できるようになった.また総合診療医で誤嚥性肺炎診療を深めるロールモデルとも出会えた.本書の監修と編集をしていただいている,佐藤健太先生と大浦 誠先生である.先生方に出会い教えを乞うことで,さらに自分の誤嚥性肺炎の診療の質が向上していくことが理解できた.そして,老年医学やリハビリのエッセンスも誤嚥性肺炎診療に取り入れた.特にリハビリ栄養の概念を提唱された若林秀隆先生に出会い,栄養の重要性が理解できた.歯科領域の重要性については戸原 玄先生にも多数の御助言をいただいた.それらのロールモデルのエッセンスを自分なりに消化していきABCDEアプローチを実践する中で,それでも嚥下が難しい症例があることも理解できた.しかし真に嚥下が難しいというには,本当にやるべきことをやり切ったあとにしか言えないのだとも悟った.医師4年目の時に,私は何もせずに嚥下は無理だと家族に言い放っていたのだ.しかし嚥下が真に難しい状況でも出来ることはいくらでもある.家族のケア,アドバンスケア・プランニング,緩和ケア…枚挙にいとまはない.そして誤嚥性肺炎を曲りなりに診療できるようになった現在でも,誤嚥性肺炎を診療することは難しい.つまり,誤嚥性肺炎というのは総合診療医の実は究極というべき疾患であり,あらゆる領域の知識と経験を総動員しなければ診療できないという極めて難易度が高い疾患であると言える.本書は私が10年間培ってきた誤嚥性肺炎診療のエッセンスを凝縮した決定版である.大浦 誠先生をはじめ,誤嚥性肺炎を深めてきた中堅の総合診療医に協力していただいた.もし,あなたが少しでも誤嚥性肺炎は高齢化社会が進んだ日本では極めてコモンな疾患であるがゆえに臨床研究の材料としてこれほど素晴らしい疾患もまたないのである.日本が世界をリードすることも可能である.本書で日本の誤嚥性肺炎の診療の質が向上し,それをもって日本ひいては世界の医療の質が向上することを願う.
2021年1月
市立奈良病院総合診療科 森川 暢