発刊にあたって
わが国では近年,急速に高齢化が進んでいます。全人口に占める高齢者(65歳以上)の割合は,2015(平成27)年は26.6%でしたが,2025年には30%を超え,2035年には3人に1人が高齢者となる社会が到来します。高齢化社会に対し,地域包括ケアシステムが構築され,多くの高齢者が,住まい・医療・介護・予防・生活支援を,地域で受けるようになります。また,貧困,虐待,犯罪,外国人の増加など高齢化社会以外にも,現代社会が抱える課題は数多くあります。
このような社会環境のなか,救急医療のニーズや救急患者に対する対応はより複雑化しています。救急車で搬送される傷病者のうち高齢者が占める割合は,2015年には55%を超えました。また,外傷傷病者が減少するなか,疾病傷病者の割合が増加しています。高齢者の多くは,複数の疾患を有することに加え,さまざまな社会背景を伴っています。また,貧困による保険未加入の問題や,犯罪の可能性などの問題もあり,われわれ救急医療に従事する者が,単に医療を提供するのみでなく,介護,福祉についての対応まで求められることも少なくありません。
こうした救急医療の現場で,医師,看護師などとのチーム医療の下,多くのソーシャルワーカーが活躍しています。他の診療科とは異なり,救急医療における問題の多さを考えれば,救急領域で活躍するソーシャルワーカーには,より専門的な知識と技能が求められます。このような背景の下,2016(平成28)年に,日本医療社会福祉学会と日本臨床救急医学会を構成団体とする救急認定ソーシャルワーカー認定機構が設立されました。本機構の救急認定ソーシャルワーカー認定制度は,救急医療現場におけるソーシャルワークの実践に必要な知識および技術を有するソーシャルワーカーを養成し,統一した基準の下にその認定を行うことで,救急医療の質の向上および人間の福利の増進に貢献することを目的としています。
本書は,救急認定ソーシャルワーカーとして習得しておくべき知識をあまねく網羅しているとともに,実践においても役立つよう実際の事例を提示しつつソーシャルワーカーとしての具体的対応を紹介しています。2017(平成29)年1月に第1回の認定試験が実施されましたが,今後,救急認定ソーシャルワーカーの取得を目指す方々の必須のテキストでもあります。
認定資格を取得しようというソーシャルワーカーだけでなく,多くのソーシャルワーカーの皆様に,日々の救急医療の現場での問題解決において,本書が広くお役立ていただけることを願っています。
2017年8月
一般社団法人 日本臨床救急医学会
副代表理事 溝端 康光
巻頭言 救急医療におけるソーシャルワーカーの役割と機能
医療領域ではすでに医師,看護師,薬剤師などの専門職分野において認定資格制度が実施されているが,いずれもそれぞれの専門性を維持,向上,発展させ,より高度な専門性を確保し,実践力を担保することによってサービス内容の高度な質的確保を意図して制度化されている。
社会福祉分野においても「認定社会福祉士」および「上級認定社会福祉士」の制度ができている。2006(平成18)年,社会福祉士に関する「専門社会福祉士(仮称)」として認定する仕組みの検討が開始された。その背景には「資格取得後の体系的研修の充実」や「より高度な専門性を有する専門社会福祉士を認定する仕組み」の構築を意図する目的があり,以降,2007(平成19)年社会福祉士及び介護福祉士法改正にあたり,上記の意図と目的をもって検討会が開始され,2009(平成21)年には中間報告書,2010(平成22)年には同基礎研究事業報告書,および基礎研究事業報告がそれぞれ公表された。2011(平成23)年「専門社会福祉士認定システム機構事業報告書」が発表され,同年10 月「認定社会福祉士認証・認定機構」が設立され,現在に至っている。
救急医療は基本的には医療の一環ではあるが,対応においては,緊急性,迅速性,適時性,臨機応変性などが求められるという意味において特別高度な対処・措置が必要とされる領域である。この認識に立ち,ジェネリックな認定社会福祉士とは別建てで「救急認定ソーシャルワーカー」の創設に至った。
近年,救急で搬送されてくる患者の背景が複雑に変化しているといわれている。その背景には,人口減少,急速に進む高齢化,後期高齢者の急増,独り暮らしの人々,社会的な孤立者,閉じこもり,引きこもりなど閉鎖性が強く,対人的あるいは社会的関係の脆弱な無縁者の増加がみられる。また,家族の形態,規模,機能の変化,さらにはこれと連動している近隣との触れ合い,交渉,連絡の疎遠化,相互扶助機能の劣化など,いわゆる無縁社会のなかで生活を営んでいる人々が急増する状況が懸念されており,一部には現実的な喫緊の課題となっている。
そのため緊急事態の発生に迅速かつ的確に対応することが困難となりつつあり,とくに大規模な事故や災厄に遭遇するリスクの高い人々の存在をも看過することができない。また,災害大国と呼ばれるわが国において,地震,津波,水害,土砂災害などの災害発生の頻度が高く,ハイリスク社会が到来している。したがって,今日,こうしたリスクを抱えている人々は無限に広がりをみせており,極論すれば,すべての人々がハイリスク社会のなかで生活しているといっても過言ではなく,各種の防災対策が,施設,設備,装置などのハードウエアによる対策,防災訓練を含め緊急時にいかに対処し,機能させるかなどのソフトウエア,さらには災害に対する個人の意識構造の変革などヒューマンウエアのあらゆる局面で危機への対応が国民的課題となっている。そのなかでも重度の要援助状態を抱え,高層建築物に居住している高齢者,障害児者,孤立無援状態の人々,あるいは人口過疎現象が進む限界集落や消滅自治体が懸念される地域社会のなかで生活を営んでいる人々,さらには地震,津波,水害などの自然災害リスクの高い地域における住民は,常に災害防止に備えることを日常生活の一環に位置づけても不思議ではない状況にある。理想をいえば,緊急事態に備えて個々の住民が自主的,自発的に個人のリスクやニーズ情報をあらかじめ登録をしておくという意識と自覚,合意がシステムとして成立すれば,さしたる問題ではないがこれは至難の業であるといわれている。
すでに各地の救命救急センターでは,医療ソーシャルワーカーが多くの経験と実績を積み上げていることは周知のところである。その実績と経験をいっそう高度な水準にまで実践力を向上させ,担保するかが大きな課題である。
そこで初歩的な議論になるが,ソーシャルワーカーの養成・教育・訓練・研修という一連の教育のあり方が課題となる。
一般的にはソーシャルワークに関する理論学習として,①講義や理論書による学習を踏まえて,②学習した理論の確認や理解度を深め,応用思考や応用動作を体得するためには,いわゆる演習による学習が不可欠であり,③これを机上の学習にとどめることのないように教室などの学習の場面でロールプレイなどを通じて,疑似体験学習を積み重ねておく必要がある。そして④現場実習においてこれらの一連の学習活動で習得した成果を具体的に実践していくことが実習の大きな意味である。⑤こうした実習の体験学習は事後学習によって,振り返りとしての省察を通して,理論学習など一連の学習で得たものを再確認し,あるいは課題を見出し,その後の学習内容の水準を向上させる機会を作る必要がある。
他方,就労後においても専門職たるソーシャルワーカーは,常に自己研鑽を重ね,自らの営為を振り返り,その質や妥当性を検証し,確認しながら業務を遂行することになる。この段階で研修と呼ばれる継続教育や卒後教育などリカレント教育の必要性が強調されなければならない。とくに日進月歩の医療保健領域においては,過去学習した内容がすぐさま陳腐化することになる。そのため最先端の理論,知識や高度な技術を学習するために継続教育や卒後教育が不可欠となり,いわゆる生涯研修システムが重要な課題となっている。
このようにソーシャルワーカーに通底する一般学習に加えて,危機状況や短期的対応が希求される現場においては,迅速性,緊急性などから,新たな学習と臨床経験を積み上げていく必要がある。その場合,ソーシャルワーカーがいかなる姿勢で,どのような視点から緊急事態に対処していくかが大きな問題である。
医療ソーシャルワーカーが緊急事態に対処するには,ソーシャルワークの理論実践モデルの応用も重要であるが,今一つ重要なことは,これまでの救急場面における体験,経験などの経験知を系統的に蓄積しながら,そのなかから学び取った知見や経験法則を抽出し,体系化していく方法として「実践の理論化,科学化」という方法があり,これを通じて,法則定立型の理論を構築することである。そのためには,平素の経験,体験などを言語化して,情報として共有化していく道筋が必要である。つまり理論を現場に応用する演繹法的なやり方に対し,この種の方法は具体的事象から抽象へと導いていく,いわゆる帰納法的な研究実践である。
このように救急医療ソーシャルワークは,今後に向けていっそうの高度な知識の蓄積と臨床知を系統的に集積し,新たな理論・実践モデルを開発し,創生していく必要がある。
この手法は,緊急事態にすぐ役立つものではないが,その後の対応にとって重要なものとなる。突発事象や緊急事態はその後にもさまざまな課題を引きずるものであり,その場限りのものではない。とくに緊急時の発生や事故による死亡,各種の家族的な喪失,人間関係や社会関係の急変など各種の喪失によって新たなニーズが招来されることがきわめて多い。そのためには,当事者や関係者の変化していく状況を巡って発生するニーズに積極的に取り組み,対応する姿勢が求められる。とりわけ緊急事態に当面している当事者は,総じて混乱状態やパニック状態になっていることがまれではない。この状況のなかで当事者のニーズを的確に把握し,整理し,援助に向けて論理化することは容易なことではないが,事態の発生以降の過程や経過を考慮すると,避けて通ることのできない課題である。
このように緊急事態への対応は,迅速性,的確性,適時性が求められるところであり,こうした状況を踏まえた平時からの研修を行う必要がある。とくに理論学習とともにその応用動作や手法を学ぶための演習・ワークショップ,その延長としての疑似体験学習,さらには現場・臨床における長期に及ぶ実習体験,また,実習体験を省察し,有効活用していくための事後学習の実践が重要である。さらに日常的にはスーパービジョンを受ける場と機会を作っておく必要がある。
冒頭にも指摘したように救急救命現場におけるソーシャルワーカーは,緊急性,迅速性,臨機応変性などが希求される領域であり,定式化されている実践活動に加えて常に緊急で突発的な事態に対応できる構えと姿勢を保持しておくことが重要である。しかし,ソーシャルワークの養成課程においては,カリキュラムとして設置されているところは必ずしも多くはない。
災害大国と称せられるわが国においては,今後ますます需要の多い分野となる。そのためには救急・緊急ソーシャルワークの新設科目を設置するべきである。過去,阪神・淡路大震災,東日本大震災,熊本地震による大災害などの多くの災害によって,貴重な体験をしてきたわれわれにとって,これらの災害から体得した経験,体験,所見,知見などから,真摯な学習を繰り返し行うべきであり,この教訓を現実の事態に応用するとともに将来に向けて有効に生かす研究と教育が不可欠である。
救急認定ソーシャルワーカー認定機構
代表理事 岡本 民夫