推薦のことば
今年2022年に自治医科大学が創立周年を迎えることとなり大変に感慨深いものがあります。草創期に学んだものの一人として、多くの恩師の方々教職員の皆様がその学びを支えてくださって半世紀の今に至ったことに心から感謝するとともに喜びを分かち合いたいと思います。
なかでも栃木の薬師寺の地に東京から建学の鍬をいれて2000名余りの卒業生を導いてくださった亡き初代学長の中尾喜久先生には教室で、学生寮で、そして食堂で常に私たちに温かい笑顔でご指導を賜りました。卒業にあたっては一人ひとりに「忍」と揮毫された色紙を賜ったことを忘れることができません。その辛抱の教えで今日の自治医大卒業生の高い評価が生まれたと言っても過言ではありません。
エネルギッシュで革新的な教授陣に在ってもひと際学生想いであられた故高久史麿先生は東京大学に栄転され医学界の頂点を極められて二代学長として私たちの母校に戻られました。自治医科大学の外に在られる時にも気軽に卒業生たちの相談にのっていただきお力をお貸し下さった事が自治医科大学の成功の大きな礎になっています。
まだ大学の校舎しか出来ていない宇都宮大学の農場跡地に入学した私たちは言葉通りに大学の建設に従事しました。ある仲間は飯場にヘルメット姿で朝晩出入りして勉学に優先してアルバイトに精を出しました。大学病院の病棟、実験室といった施設の内装を学生自ら手掛けたことを覚えています。学生寮のラウンジでは全国から選抜された「猛者」たちが喧々諤々の理想論、酒盛り、色恋自慢と楽しんだものです。地元国分寺の方々にも快く声をかけていただき公私にわたりサポートしていただいた学生生活でした。
友人たちの出身地を訪れて国内を隈なく巡りました。ご家族に温かく迎えていただきお世話になったことを思い出します。海外へ出かけ見聞を広げた機会をもった仲間もいて、中でも国交が再開したばかりの中華人民共和国へ私を団長として医学生で訪問しました。中尾学長のご推薦によって実現したものでした。6年後の1978年に1期生が出た折、多くの学生が自治医科大学を卒業してもへき地に赴くことなく貸与された修学資金を返済して建学の趣旨は実現しないというような世間の予想を全く裏切る結果となりました。私たちの仲間たちは都道府県のへき地、医師不足の要望に応えて外科志望でも内科医として離島に赴任していったりしていました。卒業生たちが自治体の信頼と評価を得て後輩たちが続いていくなかで、自治医大のキャリアパスが形成されてきました。修学資金免除の9年間の義務年限が修了した1988年、卒業生たちはそれまでの自治医大のキャリアを封印するように多様な医療の分野へチャレンジしていきました。基礎医学、臨床診療・研究、開業、病院経営、行政、留学、国際保健協力。この半世紀に見事な成果を誇れる仲間が生まれています。同じ東京都の卒業生である箕輪さんが企画した本書もそのような成果のひとつとなるでしょう。
治医科大学予防生態学でウイルス学の訓練を済ませてWHO西太平洋地域のポリオ撲滅プロジェクトに携わりました。その後母校で教鞭をとる機会を得ましたがちょうど東日本大震災に見舞われました。被災地やその外にいる自治医大卒業生たちが現地支援のチームを派遣しようという試みを、同窓会、地域医療振興協会と協力して学内から応援して卒業生の団結力の強さを実感しました。
自治医科大学のような医学部をもうひとつ創るということのリアリティーはともかくとして、今回のCOVID-19のような未知の新興感染症で世界がパンデミックに襲われているときに総合診療医として自治医大卒業生の多くが頑張っているという事は心強いです。これは自治医大の建学の精神につながると思いますが、ほかの医者が行きたがらないようなところへ身体を張って働きに行く医者を育成するというのは国民、世界中の人々に共通する願いではないでしょうか。夢物語でしょうが「自治医大をもうひとつ創る」の一読を皆さんに推薦します。
2022年5月吉日
益財団法人結核予防会代表理事 尾身 茂