シリーズの序
わが国の生殖医療は,1983年に国内初の体外受精が成功して以来,その医療レベルは着実に進化し,現時点では国際的にも最高水準にあると言えます.この間に生殖医療はチーム医療として確立され,直接診療を担当する医師(産婦人科・泌尿器科)や看護師以外にも,専門的なスキルをもつカウンセラー(遺伝・心理),あるいは精子,卵子や受精卵を取り扱う胚培養士などが,挙児を切望するクライアントに対してチーム一丸となり,上述のような最高水準の生殖医療を提供しています.
またいよいよ2022年4月から生殖補助医療に対しても待望の保険適用が開始されましたことから,不妊症に悩むカップルにとりましても体外受精等が以前にも増して身近な存在となりました.それらの治療効率の高さから,引き続き現在の本邦における切実な少子化問題の解決の一助として,生殖医療の全体にわたる発展が期待されています.
今回中外医学社より企画致しましたMOOKシリーズでは,各号のテーマにふさわしい,永年の研究歴を有する著名な先生方に,現時点における生殖医療の知見に対する理解を深めることを目標に,編集をご担当いただきました.今回のMOOK(1)「EBMから考える生殖医療」に続く今後の発刊予定としまして,MOOK(2)では国際医療福祉大学教授の柳田薫先生に「受精とその障害」というテーマで,またMOOK(3)では聖マリアンナ医科大学の鈴木直先生に「がん・生殖医療」というテーマで各々ご企画をいただき,いずれもまもなくお手元にお届けできる状況にございます.是非ご期待をいただけましたらと存じます.
本シリーズの刊行にあたりましては,企画編集の先生方をはじめ,ご多忙な中ご執筆頂いた先生方にも心より感謝を申し上げます.また本シリーズの企画以来,中外医学社の皆様方からは献身的なご協力,ご指導をいただきましたことに,深く感謝を申し上げます.
令和4年9月
兵庫医科大学医学部産科婦人科学講座主任教授
兵庫医科大学病院生殖医療センター長
柴原浩章
序
体外受精‒胚移植は今日の生殖医療になくてはならない治療法となっています.1978年7月25日,イギリスのOldham病院にてLouise Joy Brownが誕生しました.母親は2回の子宮外妊娠で両側の卵管切除を受けており,同病院の婦人科医のPatrick Christopher Steptoe医師が体外受精‒胚移植を提案し,生物学者のRobert Geoffrey Edwardsとともに体外受精を行い,世界で最初の体外受精児が誕生したのです.体外受精の基礎研究はShenk(1878)がモルモットを用いて,卵胞液と子宮内膜上皮とともに卵胞卵子を精巣上体精子で媒精したことに始まりますが,その後の約70年間は受精の研究が進まず停滞していました.これは受精に必要な受精能獲得を認識できなかったからに他なりません.1951年にAustinとChangがそれぞれの研究によって,受精に必要な精子側の条件である受精能獲得を発見し同じ年に報告しました.この発見によって,その後はウサギをはじめとして体外受精で受精卵が次々と得られるようになり,研究が急速に進み,EdwardsとSteptoeのヒトIVFでの成功に繋がったのです.
現在実施されている体外受精の受精率はおおよそ70%であり,そのことを多くの医療者は当然のように受け止めています.生理的な体内での卵管受精では卵子の周囲に存在する精子は10〜100個程度ですが,体外受精では100,000個以上の精子で媒精しなければなりません.それなのになぜ受精率が100%にならないのでしょうか.受精のプロセスが本当に解明されているのであれば,体外受精の受精率も格段に向上するはずです.つまり,受精機構は今なおその多くがブラックボックスの中にあるということを認識しなければなりません.さらに,最近の研究では受精の仕方がその後の胚の発生に影響することも指摘されており,どのように受精するか,受精させるかをコントロールしなければならない時代に入ってきていると思われます.
そのような受精を取り巻く環境の中,本書は生殖医療の中での受精を意識して,受精を理解するために最新の知見をふまえて,基礎と臨床の立場からそれぞれのテーマの第一人者に平易に解説していただきました.受精‒胚発生‒着床という流れの中では,少し影が薄かった受精ですが,始まりだからこそ重要であるという認識を持つことは,今後の生殖医療に大いに貢献すると思われます.生殖医療に携わるARTクリニックや不妊治療センターなどの医師,看護師,胚培養士,生殖カウンセラーなどの医療従事者の皆様には,本書で理解を深めてチーム全体のレベルアップを図っていただければ幸いです.
最後に,このMookの企画編集の機会を頂いた編集主幹の柴原浩章先生に,そして中外医学社の関係者の方々にお礼を申し上げます.そして,この素晴らしい内容の本書の執筆者の皆様に深甚の謝意を表します.
令和4年10月
国際医療福祉大学大学院教授/リプロダクションセンター長
柳田 薫