剖検率100%の町-九州大学久山町研究室との40年-

  • ページ数 : 156頁
  • 書籍発行日 : 2001年5月
  • 電子版発売日 : 2023年6月9日
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内容

疫学研究の金字塔Hisayama studyの全貌!

久山町研究は,日本が誇る世界的な疫学研究であると同時に,そこにはかつての日本人の生き方が凝縮されている。 膨大な資料を読み進むうちに,私はすっかり久山町研究室の代々の研究者や,町の人々の姿に魅了されていった。 頭の中ではいつのまにか,さっそうと自転車にまたがった川辺シカノや, 腰に手ぬぐいをぶら下げて開襟シャツの背中を汗でぬらした研究室のメンバーたちが,勝手に動き出していた。

EBMに端を発した取材は,久山町研究に携わった多くの人々の熱い思いや情熱,哀しみによって,医学を超えて多くのことを教えてくれた。

(「はじめに」より)

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序文

はじめに

博多にほど近い久山町を初めて訪ねたのは、もう5〜6年前のことになる。

当時私は、ある新聞で痴呆の連載を担当しており、痴呆の基礎的な研究からケアのしかたまで、日本各地を取材に歩いていた。その中で、脳卒中の管理により脳血管性痴呆の発症率を低下させた町があるというので、当時の九州大学医学部第二内科教授・藤島正敏に取材をした。久山町を訪問したのは、それがどんな町なのか、補足取材という意味合いが強かった。

町役場は深い緑に囲まれ、大きなガラス窓を通して差し込む明るい陽射しが印象的だった。思えば、あの時、町長を引退した小早川も存命だったわけで、せめて一目なりとも彼に会わなかったことが、今となっては悔やまれる。

しかし、その頃私は、久山町研究が40年も続く日本の古典的疫学研究であり、数少ない日本人を対象としたオリジナルな研究であることを、寡聞にして知らなかった。疫学研究は、統計的に病気の発生頻度や危険因子などを知る学問で、新しい治療法の開発や病気のメカニズムの研究などに比べると地味な学問だ。さまざまな病気の治療法や先端医学の取材をしていても、疫学研究の成果はその枕詞に引用される程度で、あまり表舞台に登場しない。

それがどんなに重要な研究か、教示してくれたのは循環器を専門とする大阪大学の助教授・松本昌泰(現・広島大学教授)だった。正確にいえば、ライフサイエンス出版の編集部長・武原信正を通じて伝えられた彼の言葉だった。「日本では、EBM、EBMと叫びながら、実際には国際的に通用するオリジナルの研究データがほとんどない。引用されるデータは欧米からの借り物ばかりである」、「久山町研究は、その中で世界に通用する数少ない疫学研究なのに、あまりに評価が低い。その存在を知る人さえ限られている。こういう研究の存在こそもっと多くの人が知り、日本の研究のあり方を考える指針としなければ」。

その言葉に、即座に胸の中に反応するものがあった。

博多にほど近い久山町を初めて訪ねたのは、もう5〜6年前のことになる。

当時私は、ある新聞で痴呆の連載を担当しており、痴呆の基礎的な研究からケアのしかたまで、日本各地を取材に歩いていた。その中で、脳卒中の管理により脳血管性痴呆の発症率を低下させた町があるというので、当時の九州大学医学部第二内科教授・藤島正敏に取材をした。久山町を訪問したのは、それがどんな町なのか、補足取材という意味合いが強かった。

町役場は深い緑に囲まれ、大きなガラス窓を通して差し込む明るい陽射しが印象的だった。思えば、あの時、町長を引退した小早川も存命だったわけで、せめて一目なりとも彼に会わなかったことが、今となっては悔やまれる。

しかし、その頃私は、久山町研究が40年も続く日本の古典的疫学研究であり、数少ない日本人を対象としたオリジナルな研究であることを、寡聞にして知らなかった。疫学研究は、統計的に病気の発生頻度や危険因子などを知る学問で、新しい治療法の開発や病気のメカニズムの研究などに比べると地味な学問だ。さまざまな病気の治療法や先端医学の取材をしていても、疫学研究の成果はその枕詞に引用される程度で、あまり表舞台に登場しない。

それがどんなに重要な研究か、教示してくれたのは循環器を専門とする大阪大学の助教授・松本昌泰(現・広島大学教授)だった。正確にいえば、ライフサイエンス出版の編集部長・武原信正を通じて伝えられた彼の言葉だった。「日本では、EBM、EBMと叫びながら、実際には国際的に通用するオリジナルの研究データがほとんどない。引用されるデータは欧米からの借り物ばかりである」、「久山町研究は、その中で世界に通用する数少ない疫学研究なのに、あまりに評価が低い。その存在を知る人さえ限られている。こういう研究の存在こそもっと多くの人が知り、日本の研究のあり方を考える指針としなければ」。

その言葉に、即座に胸の中に反応するものがあった。い。新薬開発のために行われる臨床試験も、数年前に日欧米共通の実施規則が定められて以来、窮地に陥っている。共通ルールは要求される科学的レベルも倫理的レベルも高い。それを満足させることが日本では難しいのである。

そこから「日本の常識は世界の非常識」という言葉までささやかれ、「日本の医療は、アメリカに10年、いやもっと遅れている」と嘆く研究者も多い。大規模な多施設共同研究によって次々と医療の課題に科学的結論を出していく欧米とその前に立ち往生する日本。EBMの時代に欧米と日本の医療格差はむしろ広がっているような印象さえ強いのである。

こうした状況の中で、久山町研究はこの40年、常に日本人を対象とした疫学データを提供し続けてきたというのである。それが今の日本でどれだけ貴重な存在かは、考えるまでもなかった。

しかも、久山町は九州大学医学部(以下、九大)第二内科と協力して、町ぐるみの集団検診を行うと同時に、町民が病理解剖に遺体を提供している。一時期は、病理解剖率が100%に達していた。つまり、調査対象となった町民全てが病理解剖に協力しているのである。世界的にも希有な研究と言われる理由のひとつもここにある。今は、大学病院の入院患者でさえ、病理解剖率は2割ほどという時代である。日本の現状を考えると、それは奇跡にも近いことだった。

なぜ、人口7000人余りの小さな町で、これだけの研究が成立し、40年もの間続けて来られたのか。その理由を知りたいというのが、取材の動機だった。

しかし、正直なところ最初は、九大第二内科の社会的名声ゆえではないかと考えた。40年も昔のことである。「もはや戦後ではない」と経済白書がうたいあげたのは、昭和31年のことだ。検診が始まったのは、それから5年後のことである。当時、九州で旧帝国大学である九州大学の名声は絶大なものがあっただろう。しかも、当時の九大第二内科教授・勝木司馬之助は、水俣病の究明にあたった研究者としてその名を全国に知られていた。

こうしたいわば九大の権威が、久山町研究を成立させ、持続させてきたのではないか、という単純な図式を思い描いていた。

ところが、取材を始めて間もない頃、久山町研究室の主任である清原裕が、何げなくこう言った。「去年研修に来た学生が、久山町研究室の先生はみんな患者さんにやさしいですねと、そう言っていたというのです。あれはうれしかったな。最近一番うれしかったことのひとつです」。

医者が患者にやさしい。そういう評価をこんなに喜ぶ医師がいる。そのことが驚きだった。そんな医師にも研究者にも、いまだかつて出会ったことがなかったからだ。いったい、久山町研究室というのはどういう研究室なのだろうか。久山町研究に対して別の意味で興味が沸いてきたのは、そこからだった。

清原の言葉が、気まぐれの一言ではなかったことは、例年行われる成人病集団検診の打ち合わせを傍聴した時に、改めて実感された。

平成12 年4月のある日、町の健康施設であるC&Cセンターでは今年の検診に向けて、何回目かの打ち合わせが行われていた。この日は、おもに耐糖能異常の人に対する糖負荷試験と遺伝子検査に関する説明の方法について、どうすれば町民の負担を軽くできるかという方向で検討されていた。

町民の立場に立って検診の方法を考える。それも新鮮だったが、もっと驚いたのは前回検診の反省点に話が及んだ時だった。「胃検診で、お年寄りに対する言葉が冷たい、2度と行かんと言う人がおりました。こういう人が1人でも出ると、町の人は会う人会う人みんなにしゃべりますからね、1回失敗するとロコミでバッと広がってしまいますもんね」と、町民の事情に詳しい保健婦の角森輝美が情報を伝える。

胃検診は現在、業者に委託して行っているが、その型通りの言い方が町民の反感を買ったようだ。「九大から他科の先生が入った時もそうでしたが、他の人が入って来るとどうもトラブルがあっていかんですな」と言うのは、健康福祉課の課長・佐伯久雄である。この医師は、今の日本の医師としては特別非常識だったわけではない。高齢者は、身体の状態によっては、検査を行いにくかったり、指示通り動きにくいことがある。こうした人に対して、この医師は命令口調で注意をしたらしい。ようするに、彼が大学病院の外来で患者に話すのと同じ言い方をしたのだろう。その結果、町民から態度が悪い、不親切であるとクレームがついたのである。「耳の遠い人もおられるし、右に回ってと言われても向かって右なのか自分の右側なのか、迷ってしまう人もおられます。胃検診のところに1人説明の人がついて、台が回って逆さまになりますよとか、わかりやすく話して欲しいですね」。

耳を傾ける九大側は、外部の人は検診の意味がわかっていないから困ったものですねえと、全く町と同じ視点で反省をしていた。

正直言って、検診とはいえ医師がこれだけ患者に気配りをするのを見たのは初めてだった。検診を受ける側が、こんなに率直に医師の態度にクレームを付けるのを見たのも初めてだった。ここでは、九大の医師は町民の検診をさせていただいているのであり、町民も研究の協力者として誇りを持っている。だからこそ、率直な批判も出るのだろう。

一般住民を対象にした疫学研究がどういうものであるのか、その時ほんの少しわかったような気がした。なぜ、清原が研究室の人間が患者にやさしいと言われることを喜ぶのか、それは清原の医師としての哲学でもあり、また久山町研究室の根幹を支える姿勢でもあるのではないだろうか。

膨大な資料を読み進むうちに、私はすっかり久山町研究室の代々の研究者や町の人々の姿に魅了されていった。頭の中では、いつのまにかさっそうと自転車にまたがった河辺シカノや腰に手拭いをぶらさげて開襟シャツの背中を汗でぬらした研究室のメンバーたちが勝手に動き出していた。取材依頼で電話をすると、思いがけず年月を経た声が受話器の向こうから聞こえてきて、歳月の経過を思い知らされることもあった。

久山町研究は、日本が誇る世界的な疫学研究であると同時に、そこにはかつての日本人の生き方が凝縮されている。EBMに端を発した取材は、久山町研究に携わった多くの人々の熱い思いや情熱、哀しみによって、医学を超えて多くのことを教えてくれた。そのことに、心から感謝している。

最後に、ご多忙の中、いつも快く取材に応じてくださった久山町研究室主任・清原裕氏、私のような若輩者に若き日の人生を語ってくださった九大第二内科久山町研究室の歴代研究室員の方々、河辺シカノ氏や安河内哲哉氏、和田紀子氏ら、町民の方々に心から感謝の意を表したい。全ての方々のお名前をここに記すことができないのが、心苦しい限りである。初代室長の廣田安夫氏には、電話だけで最後までお目にかかることができなかったが、その理由はおそらく本書をお読みいただければ推察していただけるのではないかと思う。そして、取材の機会を与えてくださった大阪大学の松本昌泰氏とライフサイエンス出版の武原信正氏、原稿の遅れでご迷惑をかけた毛利公子氏にも感謝するしだいである。(敬称全て略)


平成13年3月

祢津加奈子

目次

第1章 死亡診断書への疑惑

遠い記憶/勝木司馬之助の訪問/脳卒中の実態解明を求めて/病理解剖のもうひとつの理由/選ばれた町・久山町/町の決断

第2章 剖検交渉とカンオケかつぎ

第1回成人病集団検診/訪問検診/第七研究室/追跡調査/開業医たちの不安/剖検交渉/剖検第1号/カンオケかつぎ

第3章 剖検率100%の町

健康増進クラブ/朝日賞受賞と安楽寺の住職/NIHの研究費/共同研究者としての病理学教室/遺族の心情

第4章 紛争の中の研究室

誤診の証明/新メンバーの加入/研究の報酬/大学紛争の中で/内科学会粉砕の嵐

第5章 研究を守った町民たち

町長の決断/「鎖国」政策/よそ者の保健婦/研究と地域医療の間で/高血圧を追放する会の意図

第6章 収穫と新たな課題

新たな出発/七研の4人組/町長の構想と研究室

終章 久山町研究の明日

新たな展開の可能性/厳しい現実

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書籍情報

  • ISBN:9784897751528
  • ページ数:156頁
  • 書籍発行日:2001年5月
  • 電子版発売日:2023年6月9日
  • 判:A4判
  • 種別:eBook版 → 詳細はこちら
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