プレリュード:うつは世につれ世はうつにつれ
プロ野球でもJリーグでも、各チームにスター選手がいる。同様に臨床各科にスター疾患がある。消化器内科なら胃潰瘍、循環器内科なら心筋梗塞。
てなことを言うと即座に異論が噴出する。優秀な選手が何人もいた方がいいとか、スター選手のいないチームこそがいいチームだとか。いやいや、そっちの話じゃなくて。
病気をスター扱いするとは何事だなんて声も聞こえてきそうだ。確かにあなたのかかった病気はスター疾患ですよ、と言われて嬉しい人はいないと思う。いや、どうかな。世にも稀なる奇病ですと言われるよりも、よくある病気ですよと言われたほうが安心ということはありそうで、「わたしみたいな人はいますか」と聞いてくる患者は少なからずいる。
スター疾患は世にも稀な大スターのほうではなくて、ひとつにはそういうよくある疾患という含みである。基本的な病気なので臨床医として押さえておかねばならないもの。あるいはその科で研究的関心の中心にあるような疾患。この場合は難治疾患かもしれない。もっともそういう疾患が各科で異論なくひとつに決まるかというとアレなわけですな。
精神科の場合、それは統合失調症だった。精神科病院入院患者の大多数を占め、その病因の解明と治療法の開発は精神医学の重大課題であったし、今もそうだ。ところが最近、そのスターの地位が神経発達症(発達障害)に脅かされているようなのだ。別に競っているわけじゃないからいいのだが。
わたしが専門とする精神病理学の学会は、3つの会場で同時進行するけれども、A会場が大ホール、B会場が中会議室、C会場が小会議室といった配分となることが多い。主催者が聴衆の注目度を推測して振り分けるのだが、かつては統合失調症の演題を出すとA会場だった。それが最近は神経発達症がA会場だったりする。関心が推移しているのだ。
で、うつ病や躁うつ病の場合はどうだったのかというと、いつもひっそりB会場。どんなに王道を行くええ感じの演題を出しても、B会場。まあ、必ずB会場というわけでもないのだが、たいがいはそうだった。ほら、発表するからにはやはり大きな会場で大勢の同僚たちに聞いてもらいたいじゃない。東京大学の安田記念講堂がA会場のときには、迷わず統合失調症の演題を出しましたよ。学生紛争に間に合わなかった世代の憧れです。そして、うつはいつでもB会場。
そのうえここしばらくうつ病の発表が減っているようにも思うのだ。
学生のときは、統合失調症(当時は精神分裂病だった)は質的な異常で、躁うつ病は量的な異常と教わった。統合失調症の幻覚とか妄想は正常の精神生活には生じないものだが、うつ状態は正常心理にも起こりうるもので、程度の差しかないというのだ。つまり、統合失調症の体験は理解を超えているが、うつ病については理解可能なものだという含みでもある。だが、卒後臨床研修で精神科をローテートしたときには、統合失調症の不思議さは当然のことながら、うつ病も次第次第にわからないものだという実感が強まっていった。
教授回診のたびに「元気が……出ないんです」とボソリと言う中年女性が記憶に残る最初のうつ病患者である。ため息を吐き出した状態のテンションのまま、まあ、うつだから元気は出ないのだろうが、それ以上に、「元気が」のあとに「出ないんです」がなかなか出ないのが印象的であった。落ち込むそれなりの理由があるのであれば、そんな意気消沈もあるだろう。しかし、その元気のなさに明らかな原因がないというのは理解できないことなのであった。
その後、世間ではうつ病は心の風邪とか、誰でもかかる病気というキャンペーンがはられて、すっかりスティグマは軽減した。最近、パニック症で抑うつ状態も伴っていた患者が、うつ病だとは他人に言えるが、パニック症とは言えないと述べていた。パニック症もだいぶん人口に膾炙していると思っていたのだが、うつ病だと言えばそれなりに受け入れてもらえるのに、パニック症だと言うと「気の持ちようだ」と諭されてしまうことが多いのだという。確かに精神疾患は多分に気の持ちようだとは思う。しかし、持ちたいように気が持てれば世話はないのであって、「気の持ちようだ」と言う人は無責任にそう言うだけで持ち方を教えてくれはしないのだ。糖尿病の人に、「インスリンの出しようだ」と諭す人はいまい。わたしも最近、血圧が高めになってきて、血管の広げようだと思っているが、下がらないよ。
それでもうつ病だと「気の持ちようだ」とは言われなくなったらしい。それはいいことではあるのだが、うつ病はあまりに当たり前になってしまって「うつ病だなんて、あいつ怠けているだけだろう」などと言われかねないご時世になった。その間、変化したことのひとつには抗うつ薬が増え、必然的にそのマーケットが拡大したことである。副作用の少ない薬が開発され、いささか極論だが、「それなりに副作用がありますが、うつがよくなるので飲んでください」という時代から、「うつかどうかよくわからないけど、まあ大して害はないから飲ませとけ」という時代に変化した。そうしてうつ病についてしっかり考えようという機運が先細りしてきた。
うつ病は世間で脚光を浴びたが、いまや関心は斜陽、アカデミアではいつでもちょっと日陰者。もう一度うつ病、あるいは躁うつ病についてきちんと考えようという意見を共有する精神科医は少なからずいるが、まだまだ不十分だ。
本書は、診断基準やガイドラインでは臨床に立ち向かえないことに気がついた新進精神科医や臨床現場の恐さに気づきはじめた心理師に考える材料を、そしてベテランの精神科医や心理職にももう一度考える材料を提供し、かつ初学者にはガイドラインにないあれこれをわかりやすく紹介しようというものである。患者をよく診て、自分の頭で考える、その手がかりを提供できれば、というのが本書の狙いである。明確なものなどどこにもない。だから臨床は面白い。
全体は12の章からなるが、教科書のように系統だったことを書いているわけではない。最初の2つでは最近の動向を眺めてみた。第1の章は最近2、3年の動向、次の章には20〜30年の動向を。それから総論的な章を3つ。6番目から9番目は躁うつ病の症状、あるいは躁うつに代理してみられる症状について書いた。続く2章は躁うつ病の基底にあるものについて考えてみた。そして最後に治療的な見通しを少し。
2023年9月
自治医科大学 精神医学講座 教授
小林 聡幸