イタリアはパヴィア大学の解剖学兼外科学教授であったGasparoAseli(1581-1626)が1623年にイヌの腸間膜に乳び管を発見してから既に370年余りの歳月が流れている.その聞に,リンパ系の形態学は非常な進歩をとげ,近年では,超微細構造,酵素組織化学,免疫組織化学,リンパ管内皮の純培養等広範な分野で先端的業績が蓄積されている.一方,実地診療で重要な肉眼的形態学においても,Nuck(1692)の水銀注入法考案以来,Mascagni(1787),Sappey(1885)の大著,またGerotaの注入液開発(1896)後も,Poirier-Cunéo(1902),Bartels(1909),Rouviére(1932),忽那(1968)等の労作があり,もはや肉眼解剖にノイエスなしという俗説がリンパ系で、もとなえられそうである.
そうした現状で,あえて本書の編集を企画することになった機縁は,著者の一人(佐藤達夫)が1980年7月仙台で開催された第35回胃癌研究会(世話人佐藤寿雄東北大学教授一当時)のリンノマ節小委員会にオフ。ザーパーとして招かれたことにさかのぽる.その後,いくつかの癌研究会の規約委員会に参加を許され,所属リンパ節の分類と用語の整備にかかわりをもつことになったが,当時は肉眼解剖の世界でリンパ系はほとんど問題にされていなかった.末梢神経ならば,筋肉神経分布にいたるまで精細な剖出所見を得るよう心がけていたわれわれも,正直にいうとリンパ管はほとんど見たことがない.もちろん,これまでに出版されたリンパ系成書や文献を読み,血管や神経で培った解剖学的思考方法を働かせれば,なんらかのアドバイスを与えられないことはない.しかし,それでは発言に迫力が乏しいし,研究会に参加しでも自分達の研究に還元されるものがなく,恒慌たる思いをするばかりであった.
われわれが常日頃実習に使用している解剖体を用いて,しかも特別な方法を使わずに,リンパ管を剖出してリンパ節相互の連絡を呈示したいというのが素朴な願いであった.故浦良治東北大学名誉教授と雑談中にこの話題が出ると,解剖の原点、は解剖することにあるのだから,ともかくまず解剖してみたら,というご意見であった.たしかに悩んでいるよりはやってみるのが早い.まず服簡でリンパ節を見出し,阪商静脈および鎖骨下静脈に沿って手術用顕微鏡下で結合組織を少しずつつまみとっていくと,静脈角まで連絡を保ったままリンパ管を創出で、きることを知った(手術38:1515,1984).ただ顕微鏡を使わざるを得ないのでは,はなはだ能率が悪い.しかし不思議なもので,たとえ顕微鏡下であっても一度成功すると,慣れれば肉眼でもかなりの程度リンパ管は剖出できるものである.当初は静脈との取り違え等が取りざたされたこともあったが,剖出所見のカラースライドやビデオの示説により,しだいに信用されるようになったと思う.
注入標本によらないで自然剖出に頼る理由の一つは,肉眼解剖学者としてのこだわりである.もう一つは他の構造物も同時進行で剖出することにより,位置関係,たとえば手術後のQOLにとって重要な筋膜や自律神経系との絡みを直視下に収めながら作業を進められるからである.前記の成書の他に,高名な外科医HaagensenのrTheLymphatics inCancerJ(1972),また近年CT,MRIの横断アトラスもかなり出版されているものの,位置関係を十分配慮したリンパ系の総合的解剖書は現れていない.そこで,当時教室でリンパ系と自律神経系の位置関係を研究していた佐藤健次,出来尚史および村上弦の3君と語らい本書をまとめ上げることにした.
本書では,問題となる部位の動脈,静脈,自律神経系,筋膜の配置をまずつかむことから記載をはじめて,リンパ系,すなわちリンパ節,およびリンパ管によるリンパ節の連絡形態についてできるだけ精細に解剖し,所見のスケッチをカラー化して示した.呈示法としてカラー写真の活用も考慮したが,或る構造物のかげにかくれたリンパ管や詳細な分布を明確に示すにはスケッチによる描出が優れていると考えられる.すべて剖出に頼る以上,呈示できる所見はそれぞれl~数例にかぎらざるを得ない.もちろん多数例の調査が重要であることに異存はない.しかし少数例でも精細に剖出して所見を残しておくことは同じように大切である.詳細所見を慎重に検討すれば,どのような変異例に出会うか予想する道も聞けてくるものと思われる.これからQOLの重要性が増大するにつれ,目的に応じた所属リンパ系の解剖学的調査を深化させる必要に迫られるであろう.その際に調査の焦点、を絞るための資料として,本書が活用されることを願うものである.
おわりに本書の意義を十分に理解され,カラーの図版が多いやっかいな本書の企画,編集および校正に当られた教室の坪井陽子氏,ならびに南江堂出版部の中村一氏と宮本一枝氏に心から感謝する.
1997年 6月
佐藤 達夫