はじめに
燃え尽きていませんか.
仕事をやめたい,なんて思っていませんか.
毎日楽しく仕事ができていますか.
著者は精神科病院や大学病院精神科での勤務の後,精神保健福祉センターに長く勤務しました.チーム医療が強調されるより前から,さまざまな職種の人たちと一緒に仕事をしてきました.医学生の教育はもちろん,看護教育や介護職の育成にもかかわってきました.精神保健福祉センターには相談や教育研修など多様な業務がありますが,精神保健の普及啓発も大きな仕事です.そのようななかで気になっていたのは,保健・医療・福祉の領域で働く援助者たちの心の健康でした.
だいぶ前のことですが,知り合いが次々に転職する時期がありました.
優秀な臨床心理士が,長い病院勤務をやめて非常勤で相談機関に移りました.聞けば親の介護も絡んで,スクールカウンセラーもしながら少し自由な働き方をしたいということでした.また,院長の片腕とも見られていた看護師が,その病院とはまったく関係のない別の障害者施設に転職しました.多くは語りませんでしたが,「疲れてしまって」という言葉が出てきました.
彼らに共通するのは,仕事についてから十数年という時期だということ.そして,ずっと同じ医療機関での勤務を続けてきた人たちだということです.ちょうど燃え尽き症候群に関する研究書1)が出版されるようになった頃でもあり,どうやら転職の背景に,燃え尽きが存在する場合もありそうだと気づかされました.
燃え尽きにはいろいろな対応ができるでしょう.まったく関係のない業種に転じる人もあるようです.転職がいけないことではもちろんなく,1つの有効な対処法でもあります.しかし,燃え尽きたまま仕事を続けるようなことがあれば,援助者が仕事で関わる人たちにとっては,とても不幸な状況です.本人にとっても,希望に燃えて選んだ職業を楽しめないことほど,悲しいことはありません.
どうして,燃え尽きが起こるのでしょう.
どうしたらそれを防ぐことができるのでしょうか.
保健,医療,そして福祉の領域においては,その業務に関わる職種は実に多種,多様です.医師,看護師,薬剤師,保健師,公認心理師,作業療法士,社会福祉士,精神保健福祉士,介護福祉士などの人数の多い職種のほかにも,言語聴覚士などさまざまな国家資格があり,文字どおり枚挙に暇がないといえるほど多彩です.そして,その日常業務のなかで行われる治療,看護,介護,相談,支援などの行為は,それぞれの専門職種の資格に支えられ,培ってきた知識と技術を発揮することによって実践されるという共通点をもっています.
さらに近年この領域においては,一般市民によるいわゆるボランティア活動や家族による援助,そして当事者同士によるピアカウンセリングなどが行われるようになりました.そのような活動がそれぞれ重要な価値をもつことや,有用性,有効性も広く評価され理解されるようになってきています.しかし,上に述べた専門家による援助というものは,保健・医療・福祉の領域での中核的な活動として,その重要性が揺らぐことはありません.このような仕事にあたる専門家を,大きくまとめて「援助者」とよぶ2)ことにしたいと思います.
そもそも,この保健・医療・福祉という領域での利用者や来談者は,何らかの問題をもつ人々です.さまざまな苦難に遭遇し,困難を抱え,痛み,苦しみ,悲しみ,ときには怒りをもつ人々なのです.そして一方の援助者とは,そうした人々に援助する業務を自ら選ぶという職業選択をした人間です.尋ねてみれば,人の役に立ちたい,人間が好きなどと,それぞれにその動機を語るかもしれません.お金のことだけを考えてではなく,多くはそうした心情的な動機もあって仕事選びをした人たちなのです.
そうして毎日,いろいろな努力を重ねながら,職務遂行上得られる喜びや達成感を経験し,さまざまな人生とこの世の深みを覗き見て,そしてそれぞれの職業的矜持によって支えられているのが,援助者という専門的職業人なのです.
ところが,援助し援助されるという関係のなかで,危機に瀕しているのは患者・利用者などの被援助者だけではありません.援助者が遭遇する危機というものが存在します.このことにもきちんと目を向ける必要があると思うのです.
援助者には,日々,実はさまざまな危機が存在し,出現してきます.しかしこうした危機については,正面から語られることが少ないようです.援助の仕事にはつきものと考えられているからでしょうか.さらには,いってみれば仕事の負の側面だと思われているからでしょうか.そのため,遭遇する危機に対して,当人には否認や自責,自罰的態度が生じやすくなります.残念なことに,所属する組織においても,不運や個人的問題として片づけられることが少なくないのが現状です.
このような危機を克服するための具体的な対応は,当の援助者が毎日の仕事のなかで,そして援助を業とする組織においては,その組織,チームとしての責任において,日々の援助業務のなかで並行して実践されなければなりません.それが,援助に関わる仕事を健康的に続けていくための基礎的な条件だからです.
本書では,援助者自身が援助業務を続けていく過程において遭遇する可能性のあるいろいろな危機について整理し,その対応について検討していきたいと思います.
2019年6月
數川 悟