序
本邦でどれほどの一側肺換気を必要とする手術が行われているかわからないが,相当数の手術症例があるのは確実である.日本胸部外科学会の論文では,2005 ~ 2009 年の5年間に約13 万件の肺癌手術の成績を発表している( Sakata, R., et al. : Hospital volume and outcomes of cardiothoracic surgery in Japan: 2005-2009 national survey. Gen Thorac Cardiovasc Surg, 60(10):625-638,2012).この論文に集積されていない肺癌に対する症例もあると思われるし,その他,気胸や食道癌,大動脈瘤,感染症に対する手術など,一側肺換気を必要とする症例は年間4~5万件にのぼると推測される.ちなみに一側肺換気に使用される気管チューブの年間売り上げは約45,000 本程度(ダブルルーメンチューブが約35,000 本,気管支ブロッカーが約10,000 本)とも聞く.
日本人の死因別死亡率の1位は悪性新生物であり,そのなかでも気管,気管支および肺の悪性新生物は男女とも1位である〔厚生労働省「平成23 年(2011) 人口動態統計」〕.これからの高齢者人口の増加によりこれらはますます増加するであろうし,肺外科手術症例も増加するものと思われる.
肺外科手術は通常側臥位で開胸して(胸腔鏡下の手術も含めて)行われる.側臥位や開胸により換気や血流の分布が変化し低酸素血症が起こりやすい.この低酸素血症に対してただ単に吸入気酸素分圧を上げることのみでは対処できない症例も存在する.側臥位や開胸時の生理の理解が必要である.また,肺外科手術の麻酔には特殊なダブルルーメンチューブや気管支ブロッカーを使用するので,これらのチューブの使用方法をよく理解する必要がある.そのためには気管支と肺の解剖の十分な知識は欠かせない.
肺外科手術の麻酔手技は麻酔科医にとっては,必ず身につけなければならないものである.にもかかわらず,肺外科手術の麻酔に関する教科書は少なく,英書でも主なものは2冊〔「Anesthesia for Thoracic Surgery, 2nd edition」(Benumof, J.L. ), W.B. Saunders Company 1995,「Principles and Practice of Anesthesia for Thoracic Surgery」(Slinger, P. D., ed. ), Springer,2011〕だけであり,本邦には肺外科手術の麻酔の専門書は初心者用のみならず上級者用も存在しない.「ミラー麻酔科学」(メディカル・サイエンス・インターナショナル,2007)でも肺外科手術の麻酔に関して69 頁を費やしているのみであり,ダブルルーメンチューブの細かい使用方法など肺外科手術の麻酔のすべてを網羅しているとは言い難い.そこで本書ではイラストや写真を多用し,側臥位や一側肺換気の生理,肺外科手術の麻酔の特殊性,使用される器具とその使用方法,術後管理,肺外科の手術方法までをわかりやすく解説した.また実際に役立つコツやアドバイス,知っておくと役立つマメ知識も適宜挿入した.本書が一般の麻酔を経験して肺外科手術の麻酔をはじめたばかりの初心者から経験のある医師にも知識の整理に役立つものと確信している.
最後に写真撮影とその掲載を了解いただいた患者の皆様,および編集に多大の労をいただいた羊土社の小野寺真紀氏と嶋田達哉氏に感謝申し上げる.
2013年4月
産業医科大学医学部麻酔科学
産業医科大学若松病院
佐多竹良