まえがき
大学で6年間医療を学び、さらに病棟で6年間経験を積んだのち、僕は2010年にNHS(英国の国営医療サービス事業)のドクターを辞めた。
両親は、いまだに僕を許してくれない。イギリス人のNHS贔屓は知ってのとおりだ。僕らにとってNHSは大いなる誇りであり喜びなのだ。たとえて言うなら、僕らは1940年代のビンテージカーを所有するご近所さんみたいなものだ。燃料は加鉛ガソリン、曲がるときはウインカー代わりに窓から腕を突き出し、エンジンをスタートさせるには前方にあるクランクシャフトをぐるぐるまわさなきゃならない――でも、今でもちゃんと動く。僕らの家に代々伝わる車で、そいつをひと目見ようと世界中からファンが集まってくる(もちろん同じ車を購入することは絶対になく、ただ見とれるだけ)。もっと速く走れる、最新のテクノロジーを備えた、燃費のいい新しい車があるといくら説明しても、そのポンコツを整備するお金があれば毎年のように高級車を何台も買えると説得しても、僕らを変えることはできない。それはもう理屈ではなく、ノスタルジーですらない――愛だからだ。
NHSは1948年に設立され、当時の3原則は今日でも守られている。つまり、万人への普遍的なサービス、無料でのサービス、そして利用者の支払い能力ではなく臨床的必要性に基づいた医療を提供することだ。世界中で違った形の、おそらくはより効率的な医療制度が生まれたけれど、これほど公平な医療制度はほかにない。
2015年、ときの保健大臣がジュニアドクターに宣戦布告をした。理由はよくわからない。ジュニアドクターに対し、新しい契約を導入すると発表したのだ。新しい契約は、ジュニアドクターの労働環境を大きく悪化させ、結果的に患者の安全を脅かすもので、医者としてはとうてい容認できるものではなかった。政府に交渉を拒絶され、選択肢を失ったドクターたちは、しかたなくストライキに突入した。
政府の広報活動は暴走した。医者は私利私欲のためにストライキを行っている、国民を人質に取って高い賃金を要求していると繰り返し伝えたのだ――真実からは程遠い主張だ。ドクターは日々の仕事に追われ、政府の繰り出す歪んだ作り話に対抗する時間すら持てなかった。自分たちの主張を必死に訴えたものの、国民は政府のばらまく宣伝をうのみにした。結局は、ジュニアドクターたちの大きな落胆とともに、新しい契約が押しつけられることになった。
僕はことの成り行きに心を痛めずにはいられなかった。自分に何かできないか、均衡を取り戻す術はないかと考え、ドクターとして働いていたころの日記を引っ張り出してみた。この5年間、引き出しの底に沈んで目に触れることすらなかった日記だ。ドクターの日常の真実を知れば、政府の見解がいかにばかげているか、わかってもらえるのではないか?
こっけいでありふれた毎日、体じゅうの穴という穴に詰まったありとあらゆる異物、愚かでつまらない官僚主義――僕は日記を読み返し、過酷な労働時間と、ジュニアドクターという職業が僕の人生に与えた巨大なインパクトを思い出した。今にして思えば過剰で理不尽なストレスと疲労も、当時はただ受け入れるしかなかった――それが仕事の一部だったから。NHSは手に負えないほど膨れあがり、予算は圧倒的に不足している。システムをまわそうとすれば、医療従事者は通常よりはるかに膨大な仕事をこなさなければならない。日記をぱらぱらとめくってみると「産科外来を求めてアイスランドまで泳ぐ」とか「今日はヘリコプターを食べるはめに」なんて書いてあってもおかしくないような箇所もある。
そんなわけで、僕はNHSで働いていた時期の日記を本にすることに決めた。疣ゆう贅ぜいなんて言葉も出てきかねない日記だ。最前線で医療に携わるということがどういうことか、それが僕の人生にどんな影響を与えたか、そしてある悪夢のような日に、いかにして僕が限界に至ったのかも(ネタバレのようで申し訳ないが、みんな結末を知っていながら『タイタニック』を観たはず)。
ところどころで難解な医学用語には解説を加えるし、それぞれの仕事の背景を簡単に説明するつもりだから安心してほしい。ジュニアドクター初日に僕がされたみたいに、いきなり谷底に突き落として、あとは自分で何とかしろなんてことは言わない。