序
平成という時代があと数カ月で終わろうとしています.医学教育をテーマに平成を振り返ってみると,卒前教育ではOSCE とCBT が導入され,卒後教育では初期臨床研修医制度が導入され新しい専門医制度が始まろうとしていると総括することができます.しかしながらそうした大掛かりな制度改革に伴って本邦で誕生する医師の質はどれだけ上がったのでしょうか.「お腹が痛いのならとりあえず採血とCT をしましょう」などという薄っぺらな診療がされない時代は来たのでしょうか.
「診療」は「診断」と「治療」からなりますが,診断は病歴聴取で鑑別診断をあげてそれをある程度絞り込むという作業をし,身体診察でさらなる絞り込みをして必要最小限の検査で診断名を確定する,というのが基本形です.では診療のイロハのイともいえる病歴聴取はどのように進められるべきなのでしょうか.本邦の医学教育がこうした基本すら指導できていないという現実を私がはじめて痛感したのは今から十余年前のことです.
当時私は母校である慶應義塾大学医学部の消化器内科で学生指導を担当していました.そこで,毎年1 週間ほど慶應に招聘されていたピッツバーグ大学内科教授で医学教育の専門家でもあるR. Harsha Rao 先生と出会いました.「内分泌が専門らしいけど内科だったら何科でも指導できるらしいから消化器の学生も指導してもらったら?」という誘い文句に乗った結果,私の指導する学生がRao 先生の前で担当症例をプレゼンすることになりました.学生のプレゼンは開始から30 秒もしないうちに遮られ,そこから先は「現病歴とは何か,そのなかで主訴がいかに大切か」という話を延々1 時間以上にわたって聞かされました.Rao 先生は学生に向かって語っていたので学生にとっては地獄のような時間だったでしょうが,実際には指導医である私に対するメッセージであることは疑いようがありませんでした.そこから私自身が臨床医学を基本から勉強し直して指導内容を変えたことで2 年後にはようやくRao 先生からOK をもらえる現病歴のプレゼンを学生にさせることができました.
私自身はそれ以来「医師としての頭の使い方」をテーマに試行錯誤をくり返しながら今に至っています.学生や研修医を指導するだけでなく,この数年は臨床推論をテーマにした企画を学会や研究会で行っていて,同じ志をもつ仲間がだんだん増えつつあります.そんなタイミングで今回,羊土社の方から本増刊を企画するというお話をいただきました.知識の羅列ではなく,一番大事な「頭の使い方」を研修医の人たちに文字として伝える,という作業に敬愛する同志とともにチャレンジするというイメージで章立てをしました.直接交流のある先生方に執筆該当者が見当たらない項目については,その項目のエキスパートの先生に無理にお願いして執筆をご快諾いただきました.素晴らしい仕上がりになっていると思います.執筆者の先生方にはこの場を借りて厚く御礼申し上げます.
教育という言葉にはいくつかの定義がありますが,私が一番好きなのは「学習者に望ましい変化を起こさせるもの」という定義です.本増刊が読者の先生方に何らかの教育的効果をもたらすものであることを願ってやみません.
2018年11月
杏林大学医学部 医学教育学
矢島 知治