心臓血管外科専門医修練システムの不備が問題視され出してから相当な月日が経過している。さらに,問題は心臓血管外科だけにとどまらず,外科修練全体あるいは医師卒後教育全体に及び,従来の非近代的徒弟制度による医師教育は完全否定されるに至った。良質な医師の養成システムに再現性がほしいという社会からの切望が背景にあるが,医師にも働き方改革が迫られるという事情も無視できない。しかし,短期間に膨大な修練をシステマティックに修了できる本格的専門医教育カリキュラムの構築は本邦ではまだ道半ばである。
一方で,心臓血管外科修練医の中では,「早く手術の経験を積みたい」「早く一人前にしてほしい」という意見が強まり,それを実現する修練医も散見される。そんな「成功例」が認知されるに従い,修練医にもっと手術執刀の機会を与えるべきという圧力は高まっている。しかし,指導者の視点で修練医を見ていると,手術やトラブル対処,術後管理などに対する知識不足が顕在化しているように感じる。
一昔前なら,執刀の機会を得る頃には,助手,第二助手として手術に参加した経験を十分過ぎるほど持っていた。術者が行う手術操作や失敗の数々を目撃し続けた結果,やったことはないけれどイメージトレーニングはバッチリの「耳年増」な状態に到達しており,長い準備期間中に「ここは何故こうするのか」,「何故これをやってはいけないのか」,「こんなことが起こったらどう対処したらよいのか」などの重要ポイントが,論理的に整理されて頭に入っている状態で手術を執刀し始めていたのだが,今はそこまで知識が備わる前に実戦に臨むことが多い。以前と比べて,指導医と修練医の関係が希薄になったことも影響しているかもしれない。
本書の役割は,そのギャップを埋めることである。修練医が執刀する機会を得た際に,さっと目を通して各種手術の要点やピットフォールを押さえられる実践的なテキストを目指して企画された。また,一人で緊急対応する時に役立つであろう内容も項目に含めた。各執筆者は素晴らしい外科医であると同時にacademic activityも非常に高い方ばかりだが,執筆を依頼する際,あえて極力practicalな内容での構成をお願いした。Evidence Based Medicineが王道であることに異論はないが,今回は,あえてExperienced Based Medicine,つまり,各自が実際にやっていることや経験上正しいと考えていることを存分に反映させた「実践マニュアル」を目指した。
結果,本書は成書でも聖書(バイブル)でもない。また,手術方法や重点を置くポイントは外科医ごとに異なるため,各施設における指導者とは異なる方法や考え方に気づくだろう。しかし,いくつかの異なる流儀の比較から学べることはとても多い。心臓血管外科手術を深く考える契機としてもらいたい。加えて,本書を通読すると外科医に共通して流れる,心臓血管外科診療や修練に対する哲学のようなものが学べるに違いない。「上手な外科医」に共通する手術の組み立て方や失敗を最小限にするマネジメント法を学ぶ事も信頼できる外科医への近道である。
最後に,素晴らしい仲間達で作り上げたこの本が,沢山の若者を育て,そして,沢山の患者さんを幸せにすることに役に立つことを期待している。
2019年1月
明石医療センター
心臓血管低侵襲治療センター長 岡本 一真