はじめに
医師として働くこと、これは正直大変なことだ。対象は患者。患者は待ってはくれない。夜間や休日に呼び出されることもある。拘束時間の長さや責任の重さは、ほかの仕事とは容易に比較できない。それが医師という職業の宿命でもある。
優秀な頭脳を持つだけ、志を高く維持するだけでは、よき医師にはなれない。医学は日進月歩。学生の時に勉強したことは、あっという間に過去のものとなる。日々勉強を続け、医師としての高度な技術を磨かなければならない。それを継続して初めて、よき医師になることが約束される。
医師は診療の中で、創造性と想像力を持ち、柔軟性と寛容の精神を持って患者に接してゆかねばならない。そうすれば、患者がよくなった時や患者の笑顔を見た時に、きっと大きな喜びを見出すことができるはずだ。たとえ礼を言われなくても、その成功体験こそが医師としての自信となり、成長の糧となるのだ。
そのためには医師はいつも誠実に、患者の気持ちに心を寄せて(Empathyを持って)診療しなければならない。当たり前のことのように聞こえるが、実践することは意外に難しい。だが、その困難に挑むことで、自分に足りない知識や技術、目指すべき方向性が見えてくる。
医師の仕事は忙しい。疲れることもあるだろう。だが、たとえつらい状況にあっても、どこまで患者のためにがんばるかによって、医師としての成長の度合いは変わってくる。患者に疲れを悟られずに診療をする。それこそが医師のプロフェッショナル意識だ。
著者はこれまで、『医道(いのみち)』と名づけたブログで、研修医に向かって、医師としての生きざまを語りかけてきた。それは、現在の研修医教育カリキュラムの中で足りないものを補足したいという思いからだ。
医療という、不安や焦燥、様々な葛藤が生じる場所に足を踏み入れた若き研修医たちは、いつか『医師』としてのあるべき姿に迷い、考える時が必ずくる。それは簡単に結論が出せる問いではない。しかし、本書の中の話や言葉が何らかのヒントになってくれればと願っている。
『医師としての素養を涵養する』。
これは医学教育の理念として必ず出てくる文言で、大学の医学教育や厚生労働省の研修指針の中で一度は目にしたはずだ。しかし、実際には『涵養する』ことも『涵養される』ことも容易ではない。なぜなら具体的な方法が示されていないからだ。著者が本書で伝えたいことは、まさしく若手医師を『涵養する』ことなのだ。
著者が多くの先輩や患者から教わったこと、感じ取った“こころ”を、自分が直接関わる研修医だけではなく、多くの迷える若手の医師にも伝えたい。そうした思いで、実体験をもとに書き溜めてきたのが、この『良医になるための一〇〇の道標』だ。孵化したばかりの『研修医』をよき『臨床医』に育て上げるために、激たぎる想いを情熱に変えて指導する医師の姿を、ときにユーモラスに、ときにペーソスを交じえながら、一人称で一〇〇話の金言として紹介した。
もちろん、これは標準的な教育書ではない。これを反面教師にしてもいい。だが、実は大切なことは日常の“普通”の仕事の中にこそあるのだと思う。それを何気なくやり過ごすのではなく、ちょっと立ち止まって患者と向き合い、考えてみることを提案したい。そんな気持ちから、『本音で語り合おう』という副題をつけた。
昨今の若者は世渡り上手で、波風を立てず、調和を求めているように見える。著者は敢えて、そこに波風を立てることで、本音で熱く語り合いたいと思っている。患者のために、そして君自身のために。