推薦の辞

これは、第二次大戦後、間もなく若くして渡米し、数多の苦難と試練を乗り越え、米国地域社会の良き市民、指導者として生き抜いた一人の日本人外科医の物語りである。

中澤弘先生は、メリーランド州ボルチモアで現在もご健在で、ご夫人と多くの家族に囲まれながら現役で活躍中である。

先生は、戦争の時代を少年として日本で過ごし、家業の医業を継ぐことを決心して、戦後千葉大学医学部に入学される。そしてアメリカ映画で勉強した南部訛りの英語で横須賀米海軍病院のインターン採用試験を受けるのであるが、これが長い米国との関わり合いの出発点、「第2の人生」の始まりとなるのである。この間の事情は、大半の人生を送ることとなる米国社会の荒波を乗り越えて行く上で必要な氏の「ひらめき」と「行動する勇気」を物語っている。

渡米してからの中澤先生は、外科医開業、ボルチモア市医師会会長、聖アグネス病院全医師会会長、メリーランド州医師会副議長と、地域に密着した日本人として類い稀な業績を残される。競争の厳しい実力社会において認められ、尊敬される名士、所謂「成し遂げた男（self made man）」となるのである。それは汗と涙にまみれた格闘のドラマでもある。

しかし同時に、この間のいくつかの失敗や挫折の体験も明らかにされ、これらを「失敗は成功の基」として戒めにされている。また、アメリカ人の良さ、「懐の広さ」を体験として語っている。そして周囲の人々の励ましと支援、とりわけ、「頭の上がらない」峰子夫人に対し、「外側はアメリカ人のごとく振る舞い、アメリカ人の考えを貫き通すが、内は、全く日本人のような昔流の所がよく残っている」として、感謝の意を表されている。夫人は、氏の偉大なる導き手である。

いかなる個人のストーリーも、それを取り巻く社会や時代の状況ないし精神と切り離すことはできず、中澤先生もその例外ではない。

太平洋戦争は、当時の大方の日本人と同様に、先生のご両親や家庭にも甚大な影響を及ぼし、その中で苦学力行し、「人生の賭け」に出て渡米した若き中澤医師は、ボルチモアで日系人三世の峰子（夫人）と出会い結婚する。そしてその峰子夫人もまた多くの日系人と同様に、戦争中は『ジャップ』と呼ばれ、ひどい仕打ちを受けるのである。戦後七〇年余を経た今日、「家の祖国である日本と自分の国アメリカ」の戦争の心の傷がなお残っているのである。政治や外交上の和解や誓いは、傷ついた人々の慰めにはなっても、その記憶を消し去ることはできないのである。

中澤先生は、地元医師会のリーダーであると同時に、川崎・ボルチモア委員会会長として姉妹関係の強化、草の根交流の推進に奔走される。今日の日米両国の強い絆、米国朝野、超党派の日本に対する温かい友情は、このような数多の個人の努力によって支えられている。

私は駐米大使として米国に勤務の際、中澤ご夫妻に知遇を得た。一般外科医からさらに東洋医学、鍼医師へとウィングを拡げられた先生に、レセプションなどでお会いする度に、「調子はどうですか、鍼は良いですよ」と声をかけられ、それだけで暖かい風が心の中を吹き抜けていき、鍼治療を受けたような気持ちになった。

先生は、物語の最後に、日本、特に若い人達に、「若い時に、外に出て、外の空気を吸って、自分の周りにいる人達を知り、勉強を積むような努力をしないと、また将来日本は取り残されてしまうような気がする」とのメッセージを贈っておられる。蓋し、同感である。

2018年12月末日 東京にて

佐々江 賢一郎